聖なる夜に、始まる恋
尚輝との別離と、日本を離れることを決めた私が相談を持ち掛けたのが阿久津教授だった。


院卒業を機に、私が創作活動から離れることを惜しんでくれていた教授は、私の決心を聞くと大いに喜んでくれた。


留学先に希望していた南カリフォルニアの大学に橋渡しして下さったのも教授で、本当にありがたい限りだった。


こうして半ば衝動的に決めた留学は、現実のものとなり、私はアメリカに渡った。正直、純粋な動機でないことは認めるしかないけど、でもこの機会をいい加減な気持ちで過ごす気持ちはなかったし、現地に着いて、周囲を見渡せば、のほほんとしていられる年齢じゃないことも自覚せざるを得なかった。


だから当たり前だけど、授業は真面目に受けたし、制作活動にも真摯に取り組んだ。ここで過ごす時間が、決して将来無駄にならないように。


そんな日々が続いていたある日、私たちの教室をひとりのビジネスマンが訪ねて来た。それがマーティだった。


マーティは両親はアメリカ人だが、幼少期から中学までを父親の仕事の関係で日本で過ごしていて、日本語をネイティブで話すことが出来た。


高校入学と共にアメリカに戻り、カレッジ卒業後は父親と同じ、世界を駆け回るビジネスマンの道に進んだ彼は、絵画に造詣が深いところを買われて、この時絵画の売買を担当していた。彼がこの日、教室に顔を出したのは、担当教授とビジネスの話があったからだったが、そこで私の絵を見初めてくれたのだ。


日本語が堪能なマーティとは、話が合い、更に彼がたまたま阿久津教授と面識があったことも、彼との間をグッと縮めることになった。


「京香。勉強することはもちろんいいことだけど、君はもっと制作の方に力を入れた方がいい。」


そう言ってくれたマーティはやがて


「君の描く絵には可能性がある。僕は今、ビジネスとして絵に関わっている。その面での期待はもちろんしているけど、それ以前に君の絵を、多くの人たちに知らしめたいという気持ちの方が強い。是非、僕に君の手助けをさせて欲しい。」


と言ってくれるようになった。


私は留学の期間を特に決めないで、こちらに来た。マーティの言葉は嬉しかったが、せっかく来た以上は、ある程度腰を据えて、勉強もしたかった。


その私の気持ちを汲んでくれたマーティは、しばらく様子を見ていたが


「京香、機は熟したよ。阿久津教授も、こちらの先生も同じ意見だ。そろそろ日本に帰ろう。」


と勧めてくれたのを受けて、私は帰って来たのだ。
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