聖なる夜に、始まる恋
私たちの年頃は、主に結婚が理由となって、生活環境の大きな変化を迎える人が多い。私が日本を離れている間にも、そんな知らせを何件も聞いた。
アラサ-と呼ばれる年齢になり、人が婚活に目の色を変える時期になって、私が絵の勉強の為に、仕事を辞め、アメリカに行きたいと言うと、随分と驚かれた。
「いい歳して、なに寝言みたいなことを言ってるの?」
予想はしていたが、両親は大反対だったし、退職を申し出た職場でも、やんわりとではあったけど、反対され、引き止められた。でも
「夢を追うことは恥ずかしいことではないはずです。そして私の年齢は、それを追うのにまだ遅くないと思います。」
そう言い張って、私は意志を通した。かっこいいね、応援するよ、そんなことを言ってくれた人もいたが、実は格好良くもなんともない。だって、私は・・・逃げたんだから・・・。
私は絵が好きだった。生涯、絵に携わって生きて行きたい。その思いで、私は美大の門を叩いた。親に我が儘を言って、大学院まで進ませてもらった。
だけど、画家になりたい、なろうという強い気持ちがあったわけではない。いやもちろんなれればいいとは思っていたし、恩師の阿久津教授にも随分説得されたけど、現実に画家になって、絵を描いて生活できると思うほど、自分の才能に自惚れることは出来なかった。
院まで進み、自分のやりたいこと、学びたいことに一区切りをつけた私は、現実的な道を歩み始めた。故郷に帰り、高校の美術教師になったのだ。
赴任先の県立颯天高校は私の母校。そして、恋人の二階尚輝と出会った大切な場所。尚輝は2年前に大学を卒業した後、母校に社会科の教師として、赴任。また自分が在学中に所属していた弓道部の顧問となって、後輩たちの指導にもあたっていた。私は恋人と同僚になったのだ。
地元に残った尚輝とは、結果として6年も遠恋してたことになるけど、それが私たちの仲に影を落とすことはなかった。職場でも時間を共有することになった私たちは、正式に婚約をしていたわけじゃないけど、お互いを生涯のパートナ-と認め合っていた。
大好きな絵に携わる仕事をしながら、愛する人と家庭を持つ。これが私の夢であり、それが叶うことを疑ったことはなかった。
アラサ-と呼ばれる年齢になり、人が婚活に目の色を変える時期になって、私が絵の勉強の為に、仕事を辞め、アメリカに行きたいと言うと、随分と驚かれた。
「いい歳して、なに寝言みたいなことを言ってるの?」
予想はしていたが、両親は大反対だったし、退職を申し出た職場でも、やんわりとではあったけど、反対され、引き止められた。でも
「夢を追うことは恥ずかしいことではないはずです。そして私の年齢は、それを追うのにまだ遅くないと思います。」
そう言い張って、私は意志を通した。かっこいいね、応援するよ、そんなことを言ってくれた人もいたが、実は格好良くもなんともない。だって、私は・・・逃げたんだから・・・。
私は絵が好きだった。生涯、絵に携わって生きて行きたい。その思いで、私は美大の門を叩いた。親に我が儘を言って、大学院まで進ませてもらった。
だけど、画家になりたい、なろうという強い気持ちがあったわけではない。いやもちろんなれればいいとは思っていたし、恩師の阿久津教授にも随分説得されたけど、現実に画家になって、絵を描いて生活できると思うほど、自分の才能に自惚れることは出来なかった。
院まで進み、自分のやりたいこと、学びたいことに一区切りをつけた私は、現実的な道を歩み始めた。故郷に帰り、高校の美術教師になったのだ。
赴任先の県立颯天高校は私の母校。そして、恋人の二階尚輝と出会った大切な場所。尚輝は2年前に大学を卒業した後、母校に社会科の教師として、赴任。また自分が在学中に所属していた弓道部の顧問となって、後輩たちの指導にもあたっていた。私は恋人と同僚になったのだ。
地元に残った尚輝とは、結果として6年も遠恋してたことになるけど、それが私たちの仲に影を落とすことはなかった。職場でも時間を共有することになった私たちは、正式に婚約をしていたわけじゃないけど、お互いを生涯のパートナ-と認め合っていた。
大好きな絵に携わる仕事をしながら、愛する人と家庭を持つ。これが私の夢であり、それが叶うことを疑ったことはなかった。