偽装夫婦のはずが、ホテル御曹司は溺愛の手を緩めない
気付いたのはたまたまだ。小さな違和感をあのまま受け流していたら、間違いなくあかりは初めて来店した響一に、常連である奏一のセットを施していただろう。もしそれで響一の身体に何らかの異変を来せば、その責任は百パーセントあかりに生じる。
この店を選んで足を向けてくれるお客様に不快な思いや不便な思いはして欲しくない。だから二人が別人物であると気付けて本当に良かったと思う。
店長である美奈が『よくやったわ』と褒めてくれることに、もう一度安堵する。カップの中に溶けた言葉は、あかりの正直な気持ちだった。
「こんな落とし穴があるだなんて思いませんでしたよぉ」
そう、思ってもいなかった。まさか罠を回避した先で――別の罠に落ちるなんて。
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「お疲れさまでした!」
「お疲れ様~」
受付のサキと一緒に店長の美奈に挨拶すると、そのまま店の裏手を出る。サキとは通勤で使う路線が異なるので、職場を出た瞬間から向かう方向も異なる。サキともすぐに分かれたあかりは、最寄り駅を目指して表の通りへ出た。
季節は夏から秋に変わりつつある。コートの類はまだ必要ないが、夜になって小雨が降ったり風が吹いたりすると、だんだんと肌寒さを感じるようになって来た。
「お腹空いた……」