偽装夫婦のはずが、ホテル御曹司は溺愛の手を緩めない

 焦ってその手を振り解こうとするが、存外に彼も力強い。がっちりと拘束されてぐいぐい引っ張られると、あかりは高級スーツの彼によたよたと従うしかなくなってしまう。

(ご、強引……!)

 響一はやけに強引だった。同じ顔でもあかりの常連客である奏一とは全然違う。

 入谷 奏一は有名ホテルグループの経営者一族に生まれ、本人もその一員として完璧に立ち回りながらも、物腰が柔らかい『優しい王子様』を絵に描いたような人だ。

『あかりちゃん、首が疲れた~』なんて笑いながら、会員制の高級マッサージ店ではない、庶民のリラクセーションサロンに楽しそうに通ってくる気さくで明るい人なのだ。

 そんな入谷様に少しでも近づけたら――なんて小さな夢を見ていた。そしてその淡い願望は、思いもよらない形で成就されてしまった。

(確かに憧れの入谷様だけども……! 顔は同じだけども……!)

 顔だけじゃない。言われなければわからないと思うほど、何から何までそっくりだ。

 けれど明らかに違うことが一つ。奏一はこんなに強引な人ではない。仕事終わりに牛丼を食べることを楽しみにするような、いたいけなサロン店員を一方的に誘拐するような人ではない。

(同じ入谷様なら、弟の方でお願いします!)

 強引な響一には、あかりの心の叫びなど届きそうにない。

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