偽装夫婦のはずが、ホテル御曹司は溺愛の手を緩めない
7. 傍にいるために
「おい、あかり」
ふと顔のすぐ傍で声が聞こえた気がしてハッと我に返る。そのまま後ろを振り返ると傍――というよりあかりの身体を背後から抱くような体勢で、すぐそこに響一の姿があった。
まずは響一が急に出現したことに、次に身体の密着感に、最後に彼が少し怒ったような表情をしている事に驚いてしまう。
あまりにびっくりしすぎて何も言えずに硬直していると、響一がハァ、とため息をついた。
「考え事をするのはいいが、料理中は止めろ。指がなくなるぞ」
「えっ? あ……だ、大丈夫です……。ごめんなさい」
なぜ後ろから抱きしめられたのかと思ったが、響一はあかりを抱きしめるために密着しているわけではなかった。
あかりがぼんやりとしたまま玉ねぎを切り刻んでいたので、怪我の心配をして包丁を握る手を上から押さえられただけだ。
響一の介入により指の怪我を免れたあかりは、背後の彼にお礼を言おうとした。けれど何故かいつまで経っても傍を離れない響一に、お礼の言葉どころか動くことさえ出来なくなってしまう。
「あ、あの……」
響一の右手は包丁を握る手の上に重ねられているが、左手はあかりのお腹に回されている。
特に大きな力が入っているわけではない。だが偶然手を置いているだけとも言い難く、彼のあたたかい温もりに包み込まれているように錯覚する。