偽装夫婦のはずが、ホテル御曹司は溺愛の手を緩めない

 いや、その前にあかりが職を失うことで契約の前提条件が崩れる方が早いだろう。

 そうなった時にこの関係を終わらせたくないと言えば、響一に恋心を知られてしまうかもしれない。その結果、響一に煙たがられてしまうかもしれない。嫌がられてしまうかもしれない。

 いずれにせよいつか響一にも恋の機会が訪れるはずだ。もちろんそれが明日という可能性だって十分にあり得る。

「他に好きな人が出来るかもしれない可能性を考えてなかったなぁ、と思ったんです」
「……」
「そうなったらどうしましょうか。その辺りのことも、先にちゃんと決めておけばよかったですよね? もちろん今から決めても……」
「あかり」

 響一の顔を見ないようにぽつぽつと話していた台詞は、唐突に割り込んできた鋭い声に奪われてしまった。

「……怒るぞ」

 低く、暗く、鋭く、重い。たった四文字の言葉だったが、その台詞はあかりの背筋を凍り付かせるほどの冷たい迫力があった。

 怒るぞ、と言われたが、その言葉が予告ではなく、すでに怒りの感情に変化していることは誰の目にも明白だった。

 はっとして顔を上げる。そこには不快と不安と不機嫌が入り混じった苦悶の表情であかりの顔をじっと見つめている響一がいる。睨んでいる、と言ってもいいかもしれない。

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