君との恋の物語-Red Pierce-
沈黙
深夜2時。

ベッドに仰向けになって天井を見上げていた。

携帯を開いてすぐ、メールに気づいて電話を掛けたのだが、さぎりは結局出なかった。

夜中に何度も電話を鳴らすのは抵抗があるので、今日は諦めて寝ることにした。

そもそもさぎりを休ませるために返したのに、俺が起こしたのでは意味がない。

そう。今日の俺の判断は間違っていない。

と、思っているのだが、どうにも気掛かりで寝付けない。

…いや、行こうと思えば今から家に行くことだってできるし、出るまで電話を鳴らすこともできる。

でも、それではお互いのためにならない。

二人ともやりたいこともやるべきこともあって、その上で付き合っている。

今俺がそのバランスを崩して会いに行ったら、一時的にさぎりを喜ばせることはできても、いつかお互いに身がもたなくなる。

ガチガチに依存し合う恋愛が好きなのは今もそうだけど、今の俺にとって大事なことは恋愛だけじゃない。

さぎりだってそうなはず。

大事だからって無理してたら体調を崩して、結果他人に迷惑をかけることになる。

まぁ、“今日は会わない”と決めた結果、眠れなくなってるんじゃあんまり意味ないけど。

寝よう。しっかり休まないと。明日もまたバイトだ。







翌朝、携帯の着信音に起こされた。

普段から携帯は振動だけにして音は鳴らさないようにしている俺は、一瞬なんの音かわからなかった。

そうだった。さぎりから電話があったらすぐわかるようにマナーモードを解除してたんだ。

手探りで携帯を探して画面を見ると、着信は知らない番号からだった。


『もしもし。』

誰かわからないので、普通に出た。

「もしもし。片桐君の、お電話で?」

低く落ち着いた声。上品な喋り方。

ん?この声はもしや…

『はい、そうですが、もしかして』

電話の向こうで相手の表情が緩んだ気配がした気がした。

「えぇ、峰岸です。」

やっぱり!まさか直接電話をくださるとは!

「結に聞いたんだが、なにやら私に話があるようだね?」

『は、はい、その、以前ご紹介いただきました、出版社の加藤さんとのことで。』

「ふむ。そうだろうと思ったよ。今日は、時間はあるかな?会社を開けるので、そこで少し話さないか?家でもいいが、結が居ては気まずいだろう?」

まぁ、それは、確かに。

『えっと…よろしいのですか?お休みのところ、恐縮ですが…。』

「私が誘ったのだ、構わないよ。君も忙しいだろうと思うので、午前中に済ませよう。」




ということで、10時に会社で待ち合わせることにした。

会社までの道は覚えているが、足に困るので、実家に連絡を入れて車を借りることにした。

出る時には時計を見なかったが、峰岸さんが電話をくださったのは、7時過ぎだったようで、準備にはゆっくり時間をかけられた。

せっかくなので、購入したスーツを着ていくことにした。

8時を過ぎ、そろそろさぎりから何か連絡があるかと思ったが、まだ来ない。

体調でも悪いのか?

迷ったが、こちらからは連絡をしなかった。

一度着信はいれているし、さぎりなら、起きたらすぐ連絡してくるだろうと思ったからだ。

連絡が来ないと言うことは、なにか理由があるはず。体調も万全ではなさそうだったし、きっと休んでいるんだろう。

準備を終えて空いた時間はバイトに回した。

ここからなら峰岸さんの会社までは車で15分くらいだが、それでも余裕を持って9時半には家を出た。

会社に着くと、駐車場に車を停めて、携帯の電源を切ってから中に入った。

久々にお会いする憧れの人だ。誰にも邪魔されたくなかった。

『失礼します。』

言いながらガラス戸を潜ると、すぐ前に峰岸さんがいた。

「いらっしゃい。ひさしぶりだね。」

『ご無沙汰しております。』

そう言って頭を下げた。直接会うのは一年振りくらいだったが、峰岸さんは何も変わっていなかった。

ダークブラウンのスーツ。肩幅は広く胸板も厚い。典型的な逆三角形で、さらに四肢も太く、がっしりとした体格で、威厳に満ちていた。

顔には静かな笑みを浮かべていた。

「元気そうだね。さぁ、どうぞ。」

そう言って俺を応接間に促した。



俺は、早速現状を説明した。

あれからも、校正のバイトは続けていて、今では小さなコーナーの元ネタを書かせていただいていること、そして、今度加藤さんの上司にあたる方にご紹介いただけることも。

「そうか、さすが詩乃君。君を紹介してよかった。これからも、頑張ってください。」

『ありがとうございます。』

「ところで、学校の方はどうなんだ?」

唐突な質問に一瞬戸惑ったが、ありのままを答える。

『おかげさまで、学校の方も順調です。仕事も忙しいですが、歴史関係の科目は全て、5段階評価で5をいただきました。』

「素晴らしい。交友関係も順調かね?」

ん。なるほど。こっちが本当に聞きたいことか。

なんとなくそんな気がした。

『はい。友人にも恵まれています。それに、恋人にも。』

聞かれた以上、正直に言うべきだと思った。

隠す必要もないわけだし。

「…」

峰岸さんは一瞬びっくりしら表情になったが、すぐに元の表情に戻った。

「…そうか。それはよかった。」

口元に笑みを浮かべたまま、峰岸さんは立ち上がった。

「今日は、わざわざすまなかったね。来てくれてありがとう。」

『いえ、そんな、こちらこそ。お忙しいところありがとうございました。』





会社を出て、車に乗り込んだ。

よかった。峰岸さんは元気そうだったし、ちゃんと報告もできた。

結からは、結局返信はなかったが、動いてはくれたみたいだな。

後で、お礼のメールだけは入れておこう。先ほど電話をもらったことで峰岸さんの番号はわかったし、お会いした時にメールアドレスと、【今後は直接連絡してきなさい。】とのお言葉もいただいた。

結に連絡するのは、このメールで最後になるだろう。

あいつは、元気にしてんのかな?まぁ、俺が気にすることじゃないか。

けど、なんだよ、別にメールくらい返してくれたっていいだろうに。

などと考えながら車を走らせていると、あっという間に実家まで戻ってきた。

ここで俺は、初めて携帯の電源を入れ忘れていたことに気づいた。

しまった…

時間は、もう13時だ。

さすがにさぎりから連絡が来ているんじゃ…。



やっぱり。

着信が一件。それにメールも一通。

【どうして出てくれないの?】

…。

なんだか急に腹が立ってきた。

新学期早々にインフルにかかってしまったのは俺が悪いとしても、その後の俺の忙しさはさぎりだって知っていたはず。

それが、なんでこんなメールになるんだよ。

昨日だって、俺が無理にでも返さなかったらまた体調崩してたんじゃないのか?

それを、まるでこっちが悪いみたいに。

会おうと思えばいつでも会えるけど、それは、やるべきことや体調管理を怠ってまでやることか?

いや、待て。やめろ。

俺らしくもない。

冷静になれ。そもそも俺は、依存されるのが好きだったはずだ。

それが、忙しくなってきて、社会人に近づいてきて、そうもいかなくなってきているんだ。

これは、誰のせいでもない。

ちゃんと話そう。

そうだ。冷静にならないと。

【悪い。ちょっと目上の方に会ってたから電源を切ってた。すれ違いになって本当に申し訳ないけど、今日もこの後校正をしないと間に合わないんだ。もう2、3日したら落ち着くから、さぎりの都合が良ければ泊まりに来てくれてもいいから、もう少しだけ我慢してくれ。】

申し訳ないが、今会ったり電話したりしても、多分冷静にはなれない。

こういう時こそ、期限が迫っている物から片付けていくべきだ。

さぎり、ごめんな。





そこからまた携帯の電源を切って夜中まで作業を続けた。

本当はもう少し早く切り上げられる予定だったが、午前中に用事が出来てしまったために遅くなった。

さぎりとも、ちゃんと向き合わないと。というよりは、さぎり自身がもう少し現実に向き合ってもらわないと…。いつまでも、子供ではいられないんだ。



その日だけは、携帯の電源を入れずに眠った。

普段からこういうことはしないので抵抗はあった。でもそれ以上に着信やメールのことは、考えたくなかった。

大丈夫、ちゃんと話せば分かり合える。




この日の事を、俺は一生忘れないだろう。

後悔は全くしていないが、この時俺の取った行動が、俺たちの関係を大きく動かすことになる。


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