鬼弁護士は私を甘やかして離さない

死なないで

翌朝、恵介は裁判所へ直接向かい、私は事務所へと別々に出勤した。

牧田夫妻の最終結審で離婚成立となる。

私は恵介の帰りを待ちながらいつもと同じく仕事をこなした。
他の弁護士から頼まれた過去のデータ資料集め、裁判書類の確認、登記手続きの申請など今日も忙しい。

すると1本の電話がかかってきた。
それは中林さんからのものだった。

『俺だ。中林だけど、実は牧田さんの旦那に咲坂が刺された。今、総合病院に搬送されてオペ室に入るところだ。みんなにも一報入れてくれ。また連絡する』

それだけいうと電話を切ってしまった。

……ど、どういうこと?

私が受話器を持ったまま動けずにいると深山さんに声をかけられる。

「どうしたの?」

「み、深山さん。咲坂さんが刺された、と。これからオペだそうです」

「え?」

驚いたその声に周囲の視線が集まった。
深山さんが私から聞いたことをみんなに伝える。

「真衣ちゃん、どういうこと?」

みんなが私の周りに集まってきた。

「牧田さんの旦那さんに刺された、と中林さんが……」

そこまでいうと私はその場にへたりこんでしまった。
阿部さんが私を抱えあげ椅子に座らせてくれた。

「逆上したってことか?確か今日結審だったよな」

みんな口々に恵介を心配する声が上がる。
中林さんからの電話だけでは状況が掴めない。
けれどネットを見ると、見ていた人からの投稿があがっていた。
路上に血だまりがあったという書き込みを見てみんなは無言になった。

「わ、私、行かなきゃ。病院、病院に行かないと!」

「真衣ちゃん?」

「私、行かなきゃ」

私の目からは涙がこぼれ落ちていた。
でもそれを拭い、私はふらふらとデスクにあるバッグを手にした。

「真衣ちゃん!今行っても仕方ない。ここで待つんだ。状況がわからない中動いてはダメだ」

「でも、でも、私行かないと」

「落ち着くんだ。咲坂なら大丈夫。あいつは強い。今下手に動いてはダメだ」

阿部さんはまた私を椅子に座らせると状況確認しようとどこかへ電話をしに行ってしまった。

深山さんは私にお茶を持ってきてくれた。

「真衣ちゃん、大丈夫?ほら飲んで。落ち着こう。あんなに強い咲坂さんだもん、きっと大丈夫よ」

背中をさすられ私に落ち着くように声をかけてくれるが私は涙が止まらない。
震える手を握り合わせているとスカートに涙がこぼれ落ちてシミができていくのが見えた。

「みんな、わかったぞ。牧田さんの旦那が裁判の後に掴みかかってきたらしい。お前も不幸にしてやる!と叫んで殴りかかろうとしたところをかわしたら、カバンからナイフを出してきて腹部を刺したみたいだ。その場で牧田さんは取り押さえられ、咲坂は搬送されたようだ」

「それって完全な逆恨みじゃないですか。不幸にしてやるって、元々は自分が悪かったのを棚に上げて何言ってるんでしょうね!」

みんなからそうだ、そうだという声が上がる。

恵介、お腹を刺されてるんだ……

「中林さんからのメッセージがきた!咲坂の傷は深さはあったが急所を外し、臓器へのダメージはないらしい。まだオペ中だが命に別状はないと書いてある」

よ、良かった。
私は力が抜けてカップを落としてしまった。

「ごめんなさい」

「大丈夫よ。咲坂さんの命に別状がなくて良かったわ」

私は頷いた。

みんな情報を集め、今後の対応を検討し始めた。
そんな姿を私は横目に見ていた。
なんて頼りがいのある同僚なのだろうと今更ながら頼もしく思った。
私にできることは何もない。

なんとか涙を止め、私は立ち上がった。
直接の仕事は手伝えなくてもパラリーガルとしての仕事をきちんとこなすことがみんなの手伝いだ。
私は弁護士の先生たちが牧田さんの件で動いている間、できることをしていこうと気を引き締め治した。
他のパラリーガルも同じ考えなのか、各々できることをこなし始めた。

もう少しで定時となる直前に事務所の電話が鳴った。
深山さんが電話にでると大きな声で「良かった」と言っているのが聞こえ、中林さんからの電話だということがわかった。
みんなも会話に聞き入っており視線が集まる。
受話器を置いた深山さんがみんなに向けて大きな声で説明した。

「咲坂さんのオペが無事に終わって意識が一度戻ったようです。また薬の影響で寝てしまったようですがひとまず安心できるとのことでした」

「良かったなー」

そんな声があちらこちらからあがっていった。

私も状況を聞いて安堵した。
恵介が無事だった。
もうそれだけでよかった。
彼が生きていてくれてよかった。
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