教育的(仮)結婚~残念御曹司(?)のスパダリ育成プロジェクト~
 どんなにつらくても、ぼんやりしてお客様にご迷惑をおかけしてはいけない。

「えっと……林おじさまはたしか」

 茶器に伸ばしかけていた手が止まった。

「そういえば……」

 おじさまがお好きなのは熱くて苦い煎茶――それが林太郎さんを思い出させたのだ。

 ――できれば熱くて、うんと苦いやつ。

 彼の好みも同じだった。

 初めて百貨店のサロンに姿を見せた時、彼が泊まるホテルを訪ねた時、荷物を持って私の家にやって来た時、それ以外にも林太郎さんが見せたさまざまな表情が次々と脳裏に浮かんでは消えていく。

 もちろん少し高めの体温や、なめらかな肌の感触もはっきり覚えていた。

「や、やだ」

 私はかぶりを振って、お茶を淹れることに集中しようとした。

 今でも林太郎さんを思い出すたびに、胸が鋭く痛んで泣きそうになってしまう。
 それでも彼との別れも、帰国も、全部私が自分で決めたことだった。

「しっかりしなきゃ」

 明日からは前と同じように高砂百貨店での仕事も始まるのだ。こんなふうにぼんやりしていては、まともな接客ができるわけがない。

「よし!」

 私は茶器がのったお盆を持ち、背筋を伸ばして歩き始めた。
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