好みの彼に弱みを握られていますっ!
***

 Misoka(ミソカ)宗親(むねちか)さんの――あ、今は私もか――のマンションは徒歩十分圏内。

 車だとすぐだけど、歩くとまぁまぁの距離だ。

 でもきっと、一人で歩いているからそう感じるだけで、宗親さんと一緒だったらあっという間に違いないの。

 夕方とはいえまだまだ陽は落ちていない。

 日中太陽に温められた熱いアスファルトの上を、長く伸びた影とともにテクテクと歩く。
 颯爽と、といかないところが私の残念なところだけど、暑くてとてもそんな気にはなれないんだもの。仕方ないじゃない。

(髪、束ねてきて正解だったぁ〜)

 いつもは下ろしている肩下ちょっとの長さのゆるふわウェーブを、出がけにふと思い立って左寄せのサイドテールにしてみたのだけれど。

 歩くたび、ポインポイン左肩で揺れる髪の毛に、少しだけリズムをつけられたように足が軽くなる。

Misoka(ミソカ)の中涼しいかなぁ)

 お店だもの。
 空調はきいているはず。

 前方に見えてきた『Bar Misoka』と書かれた控えめな丸い突き出し看板は、中にLEDライトが入っていて、夜に見るとぼんやりと宙空に浮いて見える。
 だけど今はまだ明るいので、ただの丸い白地に手書きみたいに味のある太字の筆記体が踊っているだけという、割と地味な印象だった。

 バーだし、夜がメインなことを思えばお日様の下で目立つ必要なんてないってことかしら?なんてどうでもいいことを思いつつ。

 斜め上方にばかり気を取られていた私は、後少しでMisoka(ミソカ)の入り口って所で建物の隙間の狭い路地から出てきた手に、いきなり右腕を掴まれて引っ張られた。

「キャ」
 ァァァァ!と続くはずだった悲鳴は、私をギュッと腕の中に閉じ込めた相手に、空いている方の手で口を押さえつけられて呆気なく封じられてしまう。

 鼻も一緒に押さえられたから、息が苦しくて涙目になって。

 恐怖に震える手で口を覆う相手の腕を、それでも必死にギュッと掴んだら「春凪(はな)、俺だよ」と名前を呼ばれて「え?」と思った。

 「俺だ」って言われても、背後から押さえつけられている私には相手の顔が見えないの。

 だけどこの声。
 確かに聞き覚えがある。

 ゆっくりと、私の反応を(うかが)うように口に当てられた手と、抱き止める腕の力が緩められた私は、一生懸命息を吸い込みながら恐る恐る背後を振り返って。

「こう、ちゃん……」

 付き合っていた頃より痩せて目がギラギラしている印象になってしまっているけれど、それは確かに元彼の康平だった。
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