好みの彼に弱みを握られていますっ!


「これ、春凪(はな)の……」

 と、路地の向こうからカチャッと金属が触れ合う音とともに私の名前をつぶやく声が聞こえてきて。

 私からは死角になっていてお姿は見えないけれど、即座に
宗親(むねちか)……さんっ⁉︎)
 だと思った。

 好みのド・ストライクだと、初対面で脳が即座に認識した彼の低音イケボを、私が聞き間違えるはずがない。

 カフェ『Red Roof』で住むところを失ったショックに打ちひしがれていた時、宗親さんにあのキーを手渡して、愛車を運転して頂いたことがある。

 真っ赤なハートのチャームを手にした宗親さんに違和感を覚えたのを思い出した私は、あの特徴的なキーホールダーのお陰で、彼が道端に転がったそれが私の持ち物だと気付いて下さったんだと確信した。

 そのことに勇気づけられた私は、首絞めの恐怖で声が出せない代わりに、足をジタバタさせて懸命に〝ここにいます!〟と訴える。

 首を絞められているせいで、意識が朦朧(もうろう)としてきた所で、私の上から康平が押しのけられる気配がした。

 一気に流れ込んでくる空気とともに、固い地面からふわりと抱き起こされて。

「春凪っ!」

 そのままギュッと強く抱きすくめられて、作業服に顔を押し当てられた私は、嗅ぎ慣れた大好きなマリン系のコロンの香りを胸一杯に吸い込んで、安堵感に包まれる。

宗親(むねちか)、さ……」

(急いで来るっておっしゃってたけど……着替えもせずにいらしたんですね。ホント、どこまでこの人は私にべったりなの)

 ショックが強すぎたからかな。
 そんなどうでもいいことを思いながら恋焦がれた愛しい人の名前を呼んだら、緊張の糸がプツリと断ち切られたみたいに一気に涙腺が崩壊した。

 涙に滲む視界の中。康平が宗親さんに突き飛ばされたその足で、路地の奥の方。こちら側とは反対の通りに向けて逃げて行くのが見えて。

 それを目の端に捉えた私は、ヒクヒクとしゃくり上げながら「康、平(こぉ、へっ)、待っ、て!」と必死に手を伸ばした。

 宗親さんがそんな私をしっかり抱きしめて、逃さないみたいに腕の中に閉じ込めると「春凪(はな)、あんな男のことはいいからっ」っておっしゃるの。

 けど……私、康平を追いかけなきゃいけないんだよ。

 だって、私、彼に大切な指輪を()られたまま――。
 返してもらえていない。
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