婚約者に裏切られたその日、出逢った人は。

 今でこそ仕事が忙しく、あまり実際には行けていないようだが、その分他人の旅行体験には耳ざとい。
「ええと……清水寺、とか」
「清水? またオーソドックスな所に」
「京都、初めてだったから」
「他には?」
 重ねて問われて、朝海は返答に窮する。適当な場所を出して言い逃れたいと思うものの、その適当な場所を思いつかなかった。
 その時、着信音がどこかで鳴った。どうやら千穂のスマートホンに電話がかかってきたようだ。
「もしもし、田崎です。……はい、その件でしたら……え、今からですか?」
 二言三言やり取りをした後「承知しました、何とかします」と電話の相手に告げ、千穂は通話を終える。
「ごめん、急なアポが入っちゃった。予定調整しないといけないから戻るね」
 言うが早いか、千穂は同じ階にある営業部門のエリアへと走っていった。ボロを出さずに済んで朝海はほっとする。
 自分の席に戻ると、隣の席の新人が待ちかねていたように振り向いた。
「ごめんね遅くなって。続きは……」
「松村さん、さっきまた、高橋(たかはし)部長が来られましたよ」
「え?」
 部長とは部門長の通称だ。ついさっき、案件の確認をされたばかりだというのに、今度は何の用事なのだろう。
「何か言ってた?」
「松村さんが戻ってきたら、すぐ私の席に来るように言ってくれって」
「わかった。じゃあ話が終わるまで、この資料を例題にして練習しておいて」
「はい」
 借りてきた資料を渡しながら、新人に言い置く。すぐに部門長の席がある窓際へと向かった。
「高橋部長、お待たせしました」
「ああ、すまないな、忙しいところ」
「いえ。何のご用件でしょう」
「場所を変えて話すから、こっちへ」
 と言われ、付いていくと、フロア奥にある小会議室に髙橋部門長は入っていく。朝海も続いて中に足を踏み入れた。
 円形に配置されたテーブルの、向かい合わせになる位置にそれぞれ座る。
「これはまだ内定したばかりだから、あまり広めないでほしいんだが」
「はい」
「実は、四ノ宮(しのみや)グランドホテルの改装に、うちが関わることになってね」
 部門長の言葉に、朝海は目を見開いた。
 四ノ宮グランドホテルと言えば、全国のみならず海外にも展開している、有名どころだ。主要都市の主な駅前には必ずチェーンのホテルがあると言っていい。高級感がありながらリーズナブルな価格帯での経営で、ビジネスマンのみならずファミリー層にも人気を博している。
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