婚約者に裏切られたその日、出逢った人は。
だがデザイナーとして、こんな大きな仕事を逃すわけにもいかなかった。
「わかりました。では恐れ入りますが、私が今担当している新人教育を、他の誰かに変更していただけますでしょうか」
「ああそうか、わかった。誰か選んで手配しよう」
「よろしくお願いいたします」
フロアの自席に戻り、朝海を待っていた新人に、簡単に事情を説明する。
「詳しいことは言えないんだけど、急に大きな仕事を任されることになって。明日からは別の人が教育係につくから、悪いけどよろしくね」
「わあ、そうなんですか。松村さんの教え方わかりやすかったから残念ですけど、おめでとうございます」
「ありがとう」
新人の屈託のない、素直な言葉と笑顔に朝海の顔もほころぶ。
その日、新人教育の引き継ぎと手持ちの案件の整理をしてから、申請した残業で四ノ宮グループの下調べをした。少しの時間でも無駄にせず、材料を集めておくに越したことはない。
ネットで検索をすると、検索候補のトップに【四ノ宮グランドホテル】が出てくる。
去年就任した若社長についても調べておかないと、と考え、公式サイトの【社長挨拶】の項目を開いて──朝海はしばし、誰もいないフロアで、凍り付いたように固まってしまった。
三日後。
小会議室には、一昨日顔合わせを済ませたプレゼン立案班のメンバーが集まっている。皆、各部署で文句ない実績を上げている面々だ。ちなみに営業部門からは二人が選出されており、うち一人は田崎千穂だった。
指定時間の五分前、四ノ宮グランドホテル社長の来訪が告げられた。
「お待たせしました、社長はすぐに参ります」
秘書とおぼしき男性が言った数秒後、その後ろから一人の背の高い人物が入ってくる。
見た目の若さにそぐわないほど落ち着いた雰囲気、芸能人並みに整った容貌に、室内の誰もが釘付けになる。視線の集中砲火を受けながらも、若社長は冷静だった。
「皆様、はじめまして。四ノ宮グランドホテルの社長を務めております、四ノ宮聡志です」
堂々とした声と完璧な営業スマイルに、ほう、と誰かがため息をつくのが聞こえた。
(嘘でしょ……)
だが朝海個人は、彼に見惚れているどころではなかった。
半月前、京都での半日と一夜を過ごした相手が、目の前にいる。しかも仕事相手として。
ホテルの公式サイトで写真と名前を見た時の呆然とした気持ちが、またよみがえってくる。