婚約者に裏切られたその日、出逢った人は。
出てきたのは白身魚の料理だった。
「真鯛のポワレ、レモンクリームソースがけです」
運んできたシェフがそう説明する。
鼻をくすぐる匂いに食欲をそそられ、朝海はナイフとフォークを入れた。
口に入れると、ほど良くソテーされた真鯛と酸味の残るソースの加減が絶妙で、飲み込むのがもったいなく感じられるほどに美味しい。
だがそんなわけにもいかないので、喉を動かし、ごくりと飲み込む。
「どう?」
「すごく、美味しいです」
朝海の答えに、聡志は「だろう?」と嬉しそうに反応した。
「君は魚が好きだって言ってたから、ぜひ食べてほしかったんだ。食材の仕入れ先も最近変えたから」
「え、あの」
「ん?」
「……私、そんなこと言いました? 魚が好きだって」
「ああ、言ってたよ。夕食のレストランで」
そうだったろうか、と朝海は思い出そうとするが、いまいち記憶がはっきりしない。
記憶が無くなるほど飲んだわけではなかったはずだが、心地良い酔いに押されて、やたらと自分の好みとかを話してしまっていた……ような気はする。だが具体的に何を言ったのかは、やはりはっきりとは思い出せなかった。
口直しのソルベを食べながら、聡志が「この後の肉料理もお薦めだから、期待してて」と話す。
──どちらも好きだけど、どちらかと言えば魚。
そんなふうに言ったような記憶が、朝海の頭の隅からようやく顔を出した。
たいした発言でもないのに、半月も覚えていたとは。
聡志の記憶力の良さに驚きながら、肉料理が運ばれてくるのを待つ。
「鴨肉のコンフィ、ベリーソースがけです」
彼がお薦めだと言った通り、鴨肉も大変に美味しかった。その後のチーズ、そしてデザートのクレープシュゼットに至るまで。
食べ終わった時には、高級ワインの酔いも手伝って、すぐには立ち上がる気になれずにいた。
「満足してもらえたかな」
聡志に問われ、浸っていた余韻から意識を引き上げ、朝海は背筋を伸ばす。
「はい、とっても美味しいディナー、ありがとうございました。では」
失礼します、と椅子を引いて立ち上がると、同じように聡志も立ち上がった。
玄関へ向かおうとする朝海の手を取り、自分の顔に引き寄せる。必然的に、朝海は彼と向かい合って密着寸前の位置まで近づかされた。
「あの、すみません。帰りますから」
抗議したが、聡志は聞いていないかのように、朝海の指に唇を寄せる。指先に触れた感触に、朝海はびくりと肩を震わせた。