婚約者に裏切られたその日、出逢った人は。

「わかった」
「それじゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
 聡志を玄関で見送り、朝海はリビングダイニングに戻る。キッチンのカウンターに置いてあった、刻み野菜入りのスクランブルエッグとサラダを確認して、冷蔵庫から食パンと牛乳を取り出した。
 食パンを焼けるまでの間に、カフェオレを作る。使うマグカップは同居初日に聡志が買ってくれた、彼とお揃いの品だ。
 朝食を口に運びながら、ここ二ヵ月のことを、朝海は思い返す。
 九月の終わり、早くも、聡志の会社の顧問弁護士の紹介だという、大阪で活動する弁護士が朝海に連絡を取ってきた。翌日訪ねてきた相手は、諸岡弁護士よりも二十歳は年下に見える、若い男性だった。
 聡志が同席のもと、龍一との交際について細かく聞かれるのは少しつらかったが、懸命に我慢して全部の質問に答えた。弁護士の求めに応じて、龍一とやり取りしたメッセージやメールも全て見せた。
 その中から、龍一が朝海を欺いていた証拠として使えそうな文面を印刷し、持ち帰った弁護士は、次に訪ねてきた時にはもう「和解に持ち込めると思いますよ」と自信ありげに宣言した。
 出向いたこちら側の弁護士に、メッセージやメールの写しを見せられて、龍一は絶句していたらしい。すでに朝海が、そういった記録は消去していると思っていたのだろう。聡志に出会わなかったら確実にそうしていただろうから、危ういところであった。
 龍一の婚約者、夏目紗和子嬢が傷ついたのは当然だが、元はと言えば龍一の不徳の致すところであり、朝海に責任を負わせるのは筋が通らない。朝海も、龍一に欺かれて傷つけられた被害者なのである。
 そういった主張を、どのように彼らと諸岡弁護士の前で展開したのかはわからないが、最終的に向こうは、朝海側の主張を退けなかった。正しく言うなら、退けられないとあきらめたようだ。
 十月の終わりには、朝海は一度も彼らに会うことなく、和解が成立したと聞かされた。条件は、互いに謝罪要求も慰謝料請求もせず、双方が二度と関わらないこと。
 その条件を、朝海は一も二もなく受け入れた。
 龍一に謝罪する気がないらしいのは業腹だが、正直、もう顔も見たくないし声も聞きたくない。二度と会わずに済むのなら、それでかまわないと思った。
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