婚約者に裏切られたその日、出逢った人は。
ともあれ、訴えられる不安のなくなった朝海が、安心して聡志との同居を始めた──のかというと、そうではない。
新たな問題が噴出したためだった。
事の始まりは、十一月に入って数日目。朝海の家に、一通の封書が届いた。何の飾り気もない茶封筒で、差出人の名前はどこにも無し。
不審に思いつつ封を開け、入っていた便箋を見ると、乱れた筆跡でこう書かれていた。
【泥棒猫】
【人のものに手を出すなんて】
【尻軽な女め】
【恥を知れ】
【いつか絶対不幸になるぞ】
一読して、背筋に寒気が走った。
乱れてはいるが、本来は綺麗な筆跡だと思わせる、丁寧さがそこかしこに感じられる文字だった。
これらの文言を朝海に送り付けるためにわざと字を乱した、その過程と感情が、怖ろしく感じられた。
内容からして、送り主は龍一の婚約者、夏目紗和子なる女性だろうかとすぐに考えた。
だがあの日に見た、着物姿の清楚な美人がこんな真似をするとは信じられず、なおかつ教えてもいない住所を相手に知られている、そういった意味でも怖いと思った。
どうしようかと悩んだが、朝海は静観することにした。具体的には、クローゼットの奥に手紙を押し込んだ。これを送ってきたのが本当に夏目紗和子なら、二度と関わらないという和解条件を破っているわけだから、何かあった時には有利な証拠となりえる。
気味悪いから本音では捨ててしまいたかったが、少し前の弁護士とのやり取りで朝海は、文書などの目に見えるものをなるべく保管しておく重要性を学んでいた。
それに、一度送って怖がらせたのだから、向こうの気も済んだかもしれない。
この時はまだ、そんなふうに楽観視していたのだが、そうはならなかった。
──それから二週間後。
来阪し、朝海に言われて家を訪れた聡志に、朝海はそれまでの事情を話した。
最初の手紙から二日後に二通目が、翌日には三通目が届いたのだ。それからも、長くとも一日おきには手紙が届き、聡志を呼んだ時点では九通になっていた。
『どうしてすぐに言わなかったんだ』
『すぐにおさまると思ったから』
『とにかく、手紙を全部見せて』
クローゼットに押し込めていた九通を取り出し、聡志に渡した。
一通目ですでに彼の表情は険しくなり、二通目、三通目と開いていくうちに、どんどんと険しさが増していった。
九通目に至ると、聡志は便箋をしわくちゃにしかねない勢いで、手を強く握りしめていた。