アムネシア
避る
買い込んだ湿布を足や腕にいっぱい貼って3日ほど経過。
やっとスムーズに動けるようになったけどまだ多少の痛みは残る。
香水でごまかすにも湿布薬の匂いが強すぎて余計に変になりそうだから
周囲の人には申し訳ないけどずっと全身臭かった。
来画さんからの連絡がなかったのは良かった、かも。
外出が辛くて我慢してきたけど流石に無理で買い出しへ。
「あとは何だったかな……」
漏れがないようにメモを確認しながらレジを済ませる。
書いてきたはずなのに何かしら1つは買い漏らしがあって悔しい思いを
するから念入りに。
今回はいい感じに終わった!……と思ったのに。
ちょっとした漏れがあって踵を返す。なんてそそっかしいんだろう。
役者さんのような記憶力が良かったら苦労しないで済むのに。
もしかしたら過去の大事な思い出もあったかもしれないのに。
覚えていないなんてやっぱり勿体ない。
「あの。なにか?」
不満を抱きながらお店から出てくるとこちらを見ている女性。
40代くらい?もっと上?
とてもお上品で良家の奥様という印象を受けるけれど。
私を見る目は訝しげ。悪いものを見てしまった、みたいな。
相手の唇がかすかに動いたので何か言おうとしていると思い
近づいたら一瞬驚いた顔をして逃げるように足早に去っていった。
誰なんだろう。私は知らない。……覚えていないだけ?
「覚えている意味なんか無いよ。忘れて正解」
今誰か私の耳元で喋った?
「え?」
慌てて周囲を確認するけれど誰も居ない。
居ても少し離れた所を歩いている無関係な人。
今の声は何?子ども?
若いけれど男とも女とも分からない声。
「え。声が聞こえた?……今までそういう症状は」
「精神的に落ち込んでお薬をもらったりはしましたけど。
声までは聞こえたことは無かったんです。
もしかして私とうとうそこまで変な事になったのかもと」
買い物袋を持ったまま急いでスマホを取り出して予約をとった。
向かったのは以前お世話になったカウンセラーの居るビル。
「今はだいぶ落ち着いているし幻聴が聴こえる人とはタイプが違う。
勘違いの可能性もあるしもう少し様子を見てみたら?」
「私最近自分に自信が無くなって」
「後ろは振り向かない。やっと掴んだ今を大事にしないと」
確かにそうなんだけど。頭がモヤモヤしてる。
あの女性も気になる。何で私をじっと見ていたんだろう。
流石にあれは幻覚ではないから話さなかった。
落ち着けと諭されて部屋に帰る事にしたけれど。
このざわつく心を落ち着かせるにはどうしたらいい?
曽我さんに連絡をとってみようかとまずは伺いのメール。
『忙しい連絡しないで』
早い返事に驚いたけどそれは短くてあっさりしたもので。
当然、お仕事中の刑事さんに電話なんかする訳もない。
部屋に戻ると荷物を分別する作業をして。お茶を淹れて。
それから少しだけ花が散った薔薇を眺める。
「薔薇さん。私はどうすべきだと思いますか?」
見つめていても何も返事なんかない。決めるのは自分。
ずっと母親の顔色をうかがって指示に従ってきたけれど。
『実花里。今君にお菓子を買うところなんだけどミント味は好き?』
「どうしたんですか?さっきは忙しいって…」
ぼーっとしていたら突然スマホが震えるから驚いた。
相手の名前を見て二度驚く。
『何の話?』
「そういう冗談ですか」
『ま、まって実花里切らないで。本当だよ今雑誌の取材から解放されて。
近くに有名な菓子店があるから来てる。君に返信は出来ない』
「でも貴方のアドレスから忙しいって連絡しないでって」
『実花里からメッセージが来たなんて履歴は無かったけど』
「気にしませんから。貴方は忙しい人だし。それにこの程度の
あしらいで傷ついていたら女優の娘なんて出来ません」
『お菓子は買っていくから。待っていて』
「詩流?」
切らないでって言った本人があっさり通話を切った。
ちょっと落ち込んだような声だったように思う。
電話するのは悪いだろうと思ってメッセージだけして残す。
届くかは不明だけど。
「奥村君。さっきスマホ預けた時にメール来てなかった?」
「いいえ?知らないです。メールってまた”ファン”からですかぁ?
曽我さん相当モテるそうですし担当になったからには少しずつ覚えて」
「大丈夫。今すぐに覚えるよ。前のマネージャーにもきちんと教えた。
君にも教えないといけないと思ってたんだ」
「え?」
「まずは邪魔をするとどういう目に遭うのか。から」