アムネシア
酔う
やっと定時を迎え、
未だ人気俳優の来店に浮足立つお店を後にする。
話をしていたという店長からは何も言われなかったけど。
今後のことを考えて私の名前を出さなかったのかな。
帰る道すがら曽我さんへ電話をかけてみる。
『はい』
「酔ってるんですか?」
すぐに取ってくれたけど何だかろれつが回ってないような。
『酔ってないよ。まだ。ぜんぜん』
「店に来てくれたんですね。なのにごめんなさい」
『お菓子を持って行こうと思って。でも、上手くいかないね』
「お菓子は無かったですよ?」
『君が男と出ていったと聞いて落ち込んで帰ってしまった』
「それは」
『深い話は聞かない。……はぁ。駄目だ、今夜は物凄く格好が悪い。
これ以上情けないボロが出てくる前にもう帰って寝るよ』
「今どこ?」
『さあ。街の何処か』
「教えてくれたら行きます。無理にとは言わないけど」
『情けない酷い有様だけど、…会いたい』
大学はお休みをして足を繁華街へと向ける。
そこで待っていれば迎えが来るという場所を伝えられて待っていると
黒塗りの厳つい車が来て怖いと思ったけど勇気を出して乗り込む。
到着したのは商業ビル。案内されて最上階まで上がり。
重厚な扉の先にあった会員制のバーへ。
「詩流」
「こんばんは実花里。やっと会えた」
そんな広い空間ではないけど装飾がとにかく豪華。
席数が少なくプライベート感のある静かな店内。
一番奥の席に1人ぽつんと座っている曽我さんがいた。
「私ビール挑戦しようかな」
「苦いよ」
「じゃあ。カシスオレンジ」
隣りに座って何はともあれ注文をする。
緊張もしていたから喉も乾いているし、お腹もすいた。
「メールの件はマネージャーが勝手にしたことだから」
「まだ気にしてたんですね。そうだ。ここってドレスコードとか」
「大丈夫。静かにしていれば何も言われない」
少しして注文したものが到着。食べ物がナッツ類とフルーツしか
なかったので盛り合わせを頼んだ。結構な大皿で派手にカットされて
来るとは思わなくてちょっと恥ずかしい。
それでもお腹は空いているからりんごにかじりついた。
美味しくてモリモリ食べていると。
「……くすぐったい」
隣りからぎゅっと抱きつかれて首筋に吐息が当たる。
それがとてもお酒臭い。
「実花里」
「詩流も食べる?この…何か分からない酸っぱい奴」
「君は何時も自分が嫌いなものを食べさせるよね」
「貴方は好きかもしれないし。はい食べて。あーん」
フォークに刺して口に近づけるとパクっと食べた。
昔からずっとそう。彼は機嫌が悪くなると何も口にしなくなる。
心が落ち着くまでずっと。その間は他の誰が何を言っても食べない。
けど私が食べさせてあげる時だけは素直に食べる。
苦くても酸っぱくても不味くても、……きっと毒でも。
「変な味だ」
「でしょ」
「嫌いじゃない。大人の味ってことかな」
「どうせお子様です」
にこっと笑ったら相手もやっと自然に笑い返す。
来画さんは色々と調べてくれているし私も知りたいと思うけど、
彼との過去はぼんやりして思い出せない。だけどその後の曽我さんと
過ごしてきた時間はきちんと私の中に残っている。
どれも面白くて楽しい思い出。何より私達には共通の感情がある。
本当は物凄く寂しがりやだってこと。
「週末が楽しみだ」
「呼んでおいて撮影がラブシーンだったら股間を蹴ります」
「無かったと思うけど台本を確認しておく」
静かな席で肩を抱かれてお酒を飲む。相手が人気俳優なら
なおさら夢みたいな甘くて素敵なシーン。
「……」
でも自分の存在は常に隠して来た。
会いたい時にだけ外で会う。部屋にも行ったことはない。
彼が誰と付き合おうとも気にしない。ヘタにアピールなんかして
匂わせてファンたちから睨まれるのが怖いのもあるけど。
貴方と私ってどういう関係?私をどう思ってる?
なんて聞いてその結果を聞くのが怖い。どうしてか分からないけど、
とにかくその言葉は使えないまま今まで来た。
「どうしたの実花里」
「眠いかも。お酒に何か入れた?」
「入れてない」
こんなに距離が近いのに間を隔てる障害が多い。
時々彼が遠くに見えるくらい多い。多すぎる。
でもそれだけじゃなくて、私が明言を避けるのは
覚悟がないからだって分かってる。
愛される事が怖いの?私……?
「実花里?……、本当に寝てしまったのか。
こんな遅い時間だから当然か。ごめんね、付き合わせて」
無防備に体を預けられて少々困惑するがすぐに抱きかかえ
そのおでこにキスをする。
「大丈夫だよ実花里。昔も今も未来もずっと変わらず君を守るから。
どうかこのまま目覚めないで私だけを見ていて。大事なお姫様」
唇にもそっと軽く触れるだけのキスを、しようとして止めた。