アムネシア
惑う
ずっと長い夢を見ていた気がする。でも、内容は思い出せない。
ゆっくりと目をさますと白い天井。快適さの無い無機質なベッド。
この独特の匂い。薄暗いのはカーテンのせいじゃない、夜だからだ。
ここは病室だとすぐに分かった。私はどうなってしまったの?
「起きた」
「来画さん」
椅子に座って私を見つめていたのは母ではなく来画さんだった。
立ち上がり私に近づいてくる。
「覚えてない?君は倒れてずっと眠り続けてたんだ。ほぼ1日」
「そんなに」
「調子が戻ってからでいい話を聞かせて欲しい。何があったのか」
「……」
そんな眠ってた自覚がないし、何の話し?
また頭がぼんやりしてきた。倒れたせいか眠っていたせいなのか。
体の力が抜けていくようで上手く話も出来ない。
まだ眠い、かも。
「今は無理しないでいい」
起き上がろうとしてバランスを崩した私の体をそっと
支えられて。
「……怖…い」
その勢いで彼の胸に飛び込むように包み込まれる。
「ここは安全だから。怖がらないで」
「……。1人にしないで側にいて」
両手を伸ばし彼の頬に触れる。温かいのは当然だけど。
「居るよ」
唇を合わせると温かいだけじゃなく、気持ちいい。
「……来画」
「そんな甘い声を出していいのか?このままだと」
「我慢出来ない?」
「出来ない」
寝ていたベッドに押し返されて彼が覆いかぶさって。
ぎゅっと手を握りあって。
それで。
「んー……。朝だ…朝だ?……あれ、何で朝?」
朝日が眩しいスッキリとした目覚め。だけどこの状況は何?
確か遠出して曽我さんの所に遊びに行ってるのに。
病室で朝を迎えてるなんて変だ。
怖い顔でファンの人に怒られたのは覚えてるけど。
それから撮影を見に行って???
何だか寒いと思ったら下着姿だったし。
「ん……、朝か」
どうして隣で来画さんが寝てる?????
お酒は飲んでないし迂闊にお持ち帰りされたとかじゃない。
もしされるなら曽我さんにだし何よりここは病院。離れていた来画さんと
一緒に居るなんてどういう瞬間移動?
ついに今の記憶さえもおかしくなった?
「おはよう実花里さん」
「お、おはようございます……」
結婚するまではそんな事しないとか言った側からこれは何?
待ってそんなはずはない。そんな事になりえない。違うって。
抱きしめられる感じからして相手も上半身は裸のようだけど。
「やばい。急いで戻らないと上司にどやされる」
「あ、あの。私、なにかやらかした?」
「事情は昼にでも改めて聞きに来るので。取り敢えずは帰ります」
「き、昨日の夜は?」
「可愛かったですよ」
本当に急いでいる様子でさっさと着替えると出ていった。
置いていかれた私も慌てて服を着てはみるけれど勝手に出ていけない。
スマホは電源が切れている。病院だからか単純なバッテリー切れか。
それから看護師さんが来て何やら体のチェックをされて。
帰宅することを許される。
病院を出てもお迎えなんてきっと。
「実花里。ああ、良かった」
「曽我さん」
母親が来るはずもなく、代わりに曽我さんが居た。
「警察に事情を聞かれてたりしてこれなくて。側に居なくてごめん」
「私記憶が飛び飛びになってるんですけど。なにかご存知ですか?」
「話しながら食事でもどうかな」
「はい」
彼の案内で近場のレストランに入りお食事。中途半端な時間で
相手はコーヒーのみだけど私は朝食セットを頼んだ。
プラスでトーストを追加して。
「君は撮影場所付近で倒れている所を発見されたんだ。
その前に女性の悲鳴が聞こえていたから。なにかに襲われた可能性がある。
コテージにあった君の荷物も触れられた形跡があったそうだから」
「……それで病院に居たのか」
事件だから来画さんも居たんだ。私が被害者?でも何処も痛くない。
何も取られてない、と思う。
「私や他俳優の追っかけが複数居たからそのどれかかもしれない。
今1人ずつ取り調べられている所だ。もしそうだったら許せない」
「でも傷つけられた訳じゃないから。私最近よく倒れるし」
「実花里」
「今後はケチらないでお肉いっぱい食べる」
それで来画さんと何があってあんな朝を迎えたのかは分からない。
けど、それを曽我さんに言う気はない。流石に言えない。
まだ自分が処女かどうか何で調べるんだろう。
「仕事をセーブして暫くは君と過ごそうと思ってる」
「私のためにそんな」
「君の母親にも当然知らせたけどこの状態だから期待できない。
実花里を1人に出来ない。私が守るから」
「守るって何から?私そんな危なっかしい?」
「危ないね。事態を飲み込めず少しずつ自分を制御できなくなってる。
本当は心のなかでパニックになってるだろ」
「……」
ああ、図星が痛い。
「君が望む普通の生活はそう簡単じゃない。でも信じて欲しい。
私と一緒なら君の望むものを与えられる」
「……私の望み。じゃあ、まずはこのミルクレープ追加で」
「どうぞご自由に」