アムネシア
食る
運転手は本人、助手席は止めて後ろの席に私。
テレビや映画で活躍している人気俳優の外出なのにシンプル。
専属の運転手が居てもっと厳重にスターを守りながら大所帯で
行くものだと思っていた。少なくとも母親は10名くらい人を
引き連れて移動していた。
今はどうかは分からない。何の連絡もないから。
「気分はどう」
「良いですよ。最近ぐっすり寝てるから」
「少し痩せた?きちんと食べないとね」
「親みたい。……心配されたことなんてないけど」
「私も無いよ。親が撮影で家に居ないことが当たり前だった」
「私のお母さんは今日も何処かで何か撮ってる」
女優業だけじゃ飽き足らず監督にも手を出して、何時母になるのか。
窓の外の景色を見てぼんやりする。ここ数日ずっと快調だったのに
なんだか変。
何が、という訳じゃないけど。思い当たるとしたら、
あの一瞬の懐かしさ。切ない気持ちと胸騒ぎ。
「何か曲をかけようか」
「曽我さんは監督とかしない?」
「そっちには興味が無い。君こそ女優業は無理でも芸能界は興味ない?」
「だって見ている分には良いけど入りたくはない世界じゃないですか」
「確かにね」
音楽には詳しくないから分からないけど、軽快な流行りの曲が流れる。
何となく会話も途切れて丁度いい時間かも。
と、思ったら今になってスマホが着信を知らせる。
『す、すみません。夜勤明けで寝てて……何かあったんですか』
「おはようございます。ちょっと不安なことがあったんですけど、
もう解決したので大丈夫です。本当に寝起きって声ですね。
ごめんなさい。ご迷惑をおかけしました」
『何か思い出したとかじゃなくて』
「はい」
『……そっか』
ああ、なんだろう。また胸がズキってする。
この気持は何なのか分からない。
けど、恐怖だとか不快感ではないのだけは分かる。
安心…とも少し違う。
「ゆっくりしてください。それじゃ」
『もう少しで思い出せそうだから会いませんかって言ったら引きますか。
記憶が曖昧なままが嫌で。どうにかして抜け出したいんです』
「また連絡します。それじゃ」
『はい』
からかっているとか出会い目的じゃない。あの人はそんな姑息な
事をしなくたって圧倒的に女性からモテる。だけど不思議。
もしかしたら私に似た人を知っているとかかもしれないのに。
そんなに拘ること?
今のままじゃ嫌な理由があるんだろうか。
「深刻そうな顔だね」
「曽我さんはもし自分に曖昧な記憶があったら許せる?」
「そうなるにはきちんとした理由があったはず。
自分の判断を信じてそのままにする、かもしれない」
「……」
「酒を飲みすぎるとたまにそうなる」
「で。気づいたら隣に知らない女が寝ていると。確かに。
自分の判断を信じてそのままにするしかないですね」
「辛辣だ」
「事実です」
気づくと外の景色が街から少し離れていて。やっと車がとまり。
落ち着いた佇まいのカフェに到着した。
外していたマスクなどを装備して車から降りる。
大体彼が用意してくれるお店は上質で当然のように個室。
このお店も一見普通のお店に見えて奥には静かな空間があった。
「はあ、息苦しい世界だ」
部屋に2人になると速攻でマスクなどを外し大きく背伸びした。
ただそれだけの行動でも美形がやるとサマになる。
ちらっとそれを見ながら私も外してソファに座った。
「テレビをつけると貴方が居る。映画館にはポスター。雑誌を広げても
ブランドのモデルをしてる」
「嬉しいな。全部見てくれてるんだね」
「歩いてるだけで見えちゃうんです」
彼はその反対側に座る。
「冷たい」
「パンケーキのアイス付きにします。曽我さんは?」
「じゃ」
「はい。コーヒーですね。店員さん呼びますね」
「……氷のようだ」
打ち合わせと言っていたけど怪しい。もしかしたら本当なのかもしれないけど
どうせ最後はあの甘い声の女性と楽しい時間を過ごしていたのだろうし。
その翌日に私に会いに来るなんて。
彼と交際している訳ではないから何も言う気はないとはいえ。
やや不満ではある。