アムネシア

貪る


 暫くして熱々のパンケーキにバニラアイスが乗った見るからに
甘くて美味しいものが目の前に登場。
 冷蔵庫のケーキについては明日食べるから良いという判断。

 若い女性の店員さんはマスクをとった俳優を前にしても
 慌てず何も言わず淡々と配膳する。

 もしかしたら芸能人が来るのはよくあることなのかも。
 或いは彼が女の子相手によく使う店だとか。

「可愛い。写真撮っておこう」
「SNSでも始めた?」
「いえ。私って日記関係が一切続かないから。
こうしてたまに写真を撮っておいて後で思い返すんです」
「なるほど」
「よし食べよう」

 どちらにしろ私はこのデザートを美味しく頂くのみ。

「君が母親の元を出て3ヶ月くらいかな?思ったより元気そうで
安心してる。昨日倒れたのは驚いたけどね」
「家に居たって母は帰ってこないし何も変わりませんから。
それに一人暮らしは大変だけど楽しい」
「そう」
「少しずつですけど。やっと自分らしく生きてるのかなって」

 悩んで足掻いている間に気づいたらもうそんな若い訳でもないけど。
やっと感じる自由。
 といっても母親からの援助は受けているからまだまだ先は長い。

「箱入りのお嬢様が巣立っていく。複雑だな」
「遅いくらいです」
「世間はそう甘いものじゃない。何時でも帰っておいで」
「曽我さんは私のお父さんだったりしますか」
「6歳の頃はまだ生殖本能は無かったかな」

 貴方ならそれくらいからもう有りそうですよね。

とか言ったら流石に失礼だろうなと思ったので黙ってアイスを食べる。
 ひんやりと甘いうちに温かなパンケーキを食べてもっと幸せ。

「撮影順調そうですね。毎週観てますよ、バイト先の人たち」
「君は観ないよね」
「はい」
「演じていると分かっているのに私が犯人だったら怒るし、
殴られるとよく泣いてたっけ」
「昔のことです。今はもうそんな気にしない」
「じゃあ観て欲しいんだけど」
「純粋に面白くないドラマだから嫌」
「厳しい視聴者様」

 私に僅かにある過去の記憶にはだいたい曽我さんが居る。

 出会いは子供の頃で私が初めて映画の撮影現場に行った時。
だったと思う。唯一の肉親である母親が仕事で何時も居なくて
寂しい時なんかよく誘ってくれた。
 彼の親も有名な俳優と女優で家族関係が希薄な所も一緒。

 食事や映画には行ってもベッドに誘われる事はない。
 かといってお兄さんのような存在かと言うとちょっと違う。

 とても近いようで遠い変な関係がずっと続いている。


「あれ……眠くなってきた。お腹いっぱいになったから?」
「いいよ寝ても」

 たっぷり寝ましたって言ったばかりでこんな急に眠気が来る?
 でも確実に瞼が落ちていく。
 

 大丈夫、一緒に行こう。


「っつ」

 空を飛んで落ちる夢を観た時みたいに体がビクンと跳ね上がって
 その衝撃で目をカッと見開く。

「驚いた。大丈夫?実花里」

 ウトウトしたのはほんの数秒のことだと思ったのに、座っていた
位置が変わりブランケット代わりに曽我さんの上着があって。
 それでいて彼の膝を枕にしていた。ガッツリ寝てた?みたい。

「び……びっくりした……ビクって…した…」
「悪い夢でも見たのかな」

 夢と現実がごっちゃになっている私の頬を撫でて苦笑する曽我さん。
私は起き上がってまだドキドキしている心臓を落ち着かせようと机に
 あった自分の水を飲む。氷は溶けていてすっかりぬるい。

「……」
「大丈夫だよ。もう少しゆっくりお休み」

 そう言って私の手からグラスを奪うと再び寝かされる。

「食べてすぐ寝ると太るのに」
「どんな姿になっても可愛いさ」
「そんな風に言ってくれるのは貴方くらい…の前にまず友達が居ない。
寂しく孤独死する前に何とか作らないと」
「世間には色んな人間が居る。見極められない今は無理しなくていい」
「……、はい」
「君を1人にはしないから」

 手がそっと頭を撫でる。その心地よさは再び眠気を誘う。

「……パンケーキに睡眠薬入れましたね」
「実花里の頭の中で私がどれほど卑劣な男なのかよく分かったよ。お休み」

< 4 / 30 >

この作品をシェア

pagetop