アムネシア
2章
香る
部屋に戻ってスマホを確認するけれど誰からも連絡はなし。
店長とは仕事の連絡でたまにやり取りがあるけれどそれくらい。
母親のことは隠しているし明るく振る舞っているつもりだけど、
周りと年齢が離れていて付き合いづらいと思われているかな?
いや、待っていては駄目だ。自分から行かなきゃ。
「よし。明日こそ連絡先を聞くぞ」
影でこそこそ酷いことを言わなそうな怖くない女の子がいいとか
ワガママかな。
お母さんに言ったらきっと鼻で笑われる。
「おはよう実花里ちゃん。元気そうで良かった」
「おはようございます。いっぱい寝て食べて元気付けました」
「それが一番」
翌日からさっそく何時もより少しトーンを上げてお店に向かう。
裏で着替えて開店準備や花の手入れ。花の知識は本を読んで知っていた程度。
だからまだ先輩たちのもとで指示を受け雑用をメインにしている。
思った以上に体力を使う仕事だけど、花は好き。
「すみませーん」
「はい。いらっしゃいませ」
人と接触するにも何かクッションがないと苦手だから丁度いい。
母曰く、一度演じてしまえば何にだってなれるのだから。
恥ずかしさや苦手意識なんて無駄。無くしてしまえだって。
私は女優には向いてない。
地道に他の人と距離を縮めようとするけれど仕事中は中々近づけない。
上がり時間が近づく人も居るし、私もそろそろお昼休憩。
「綺麗ですね」
「いらっしゃいま……せ」
そんな時にスーツの彼がやってきた。
守屋さんだとすぐ思い出せる爽やかな容姿。
「あれ。まだドラマ撮影続いてたんだ」
「じゃあ近くで撮影してる?」
「曽我さんも居るの?」
イケメンの登場にざわめく店内。
「花を買うには君に言えばいい?」
「私じゃなくて先輩に、あちらの人に」
「あー……、そうなんだ。どんな花がいい?」
「どういう場面です?プレゼント?お祝い?お見舞い?」
「プレゼント」
「ならこっちの定番のセットなんて人気ですよ。
もちろんご自分で選んで貰ってもいいですし」
「実花里さんが好きな花はどれ」
「私は薔薇とか……、何で私?」
プレゼントなのに?
「どうすべきか先輩に相談したら職権乱用ギリギリだって大目玉喰らって。
警察官が自分の立場を利用して女性をナンパするなと」
「……そう、だったんですか?」
「いや。そんな事全く考えてなくて。先輩に言われて初めて気づきました。
確かに強引に因縁があるかのように押し付けて混乱させてしまった。
おまけに会おうだなんて。……無意識とはいえ恥ずべき行為です」
「信じますよ。だって守屋さんなら演技なんかしなくてもモテるし」
イケメンがわざわざ普通の私に近づいて来るわけがない。
その場限りの関係を望むにしたって不相応。
「演技ですか?俺はどうもはっきりしないのは好きじゃない。
思ったことは素直に口に出すもので。それでよく叱られる」
「そんな感じですね」
「実花里ちゃん、もうお昼休憩入って。お客様のオーダーは私が聞くから」
「ありがとうございます。ではごゆっくり」
ニッコリと笑って一旦奥へ入る。着替えて持参したお弁当を持って
お店の側にある小さな公園のベンチでお昼。
中でも休憩室で食べる事はできるけど、外のほうが好きだから。
こんなだから何時までも1人弁当なんだろうな。
「実花里さん。これ」
「わ。びっくりした」
お弁当のすぐ横に真っ赤な薔薇。それも束で。
「女性に薔薇をプレゼントしたいと言ったらこれがいい、と」
「プロポーズでもするような量ですね?」
「え。……そ、そういう意味ではないんですが」
「分かってますって。私にくださるんですか?こんな高価な花束」
赤いバラの花束なんて意味深で情熱的。だけど刑事さんはそのへんを
いまいちピンと来て無くて。ただ店長に勧められたから買った様子。
そこがなんだか面白くてつい笑いながら受け取った。
「嫌でなければ受け取ってください。
女性に花を渡した経験なんて母親くらいしかないので不慣れで」
「嬉しい。本当に素敵な花束」
「……、よかった」
「座ってください。なんだか職質を受けている気分です」
「失礼します」
癖なのかキビキビとした動きで少し距離をとってベンチに座る。
「何時にします?」
「え。何が?」
「今日はあまり時間がないから話せないので、きちんと会う日」
「……いいんですか?」
「私も曖昧な記憶をなんとかしたいって思うから」
「では休みを教えてもらったら合わせられるか調節します」
「はい」
薔薇の香り。ゴージャスな色。どれも凄く心地いい。
持って帰ったら店長はきっと驚くだろうな。
あと帰りに花瓶を買わなきゃいけない。ちょっといいヤツ。
「……綺麗だ」
「ほんとですね。綺麗」
「……」
「守屋さん?」
「はっ……い、いえ。俺は何も不純なことは考えてないです」
「何も言ってませんけど」
「ま、また改めて連絡貰えますか。お昼休憩中にお邪魔しました」
彼はやや頬を赤らめて早足で去っていく。一体何があったのか。
よく分からないけど。花を眺めているとうっとりして気分がいい。
食事もそぞろにずっと赤いバラを眺めていた。