アムネシア
悟る
曽我さんに送ったメールの返事が無い代わりに
翌日のお昼に荷物が届く。何も知らずに仕事中だったから
彼のマネージャーが店に来てびっくりした。
渡されたのは小さな箱に入った繊細な花の形のクッキー。
「お分かりかと思いますが。この件は他言無用でお願いします」
「はい。お疲れ様です」
マネージャーさんは軽く苦笑して足早に去っていった。
どうせ私のことなんて曽我さんの数ある女友達の1人くらいだろう。
私自身どう説明して良いか分からない。彼はどう説明したのか。
知り合い?友達?或いは何も説明してないなんて事もありえる。
お母さんが言ったような体を許した途端満足する人とは思って
ないけど。いや、思いたくないだけかも。
だって私には気さくに話せる人が本当に少ないから。
「食べるの勿体ないなぁ。でも、食べちゃおう」
お昼休みにさっそく頂く。もちろんお礼のメールをして。
撮影に取材に忙しい人で返事は夜中だと思うから気にしない。
「美味しそうぅ」
「びっくりした」
あーん。と口に放り込もうとしたら目の前で見てくる女性。
「あ。すいません。今日ギリギリで……お腹減ってて」
「貴方は今日から入った坂江さんですよね」
「はい。浪人生してます坂江です」
「夜中までお勉強してたんですね。大変だな」
「いや。友達とネトゲ…」
「……そう、なんですか。よかったらクッキーどうぞ」
嬉しそうに彼女は隣に座る。入っている日は少ないけれど
同じ時間で働くことになった女性。
多分ネトゲって勉強のことじゃないよね……?
「山岡さんでしたっけ」
「それは主任。私は川村。川村実花里」
「そうだ山と川だ。すみません川村先輩」
「凄い覚え方…。私も新人だから先輩は要らないです」
押し寄せる彼女からの情報に圧倒されながらもそれがちょっと
うれしい自分が居る。
明日も一緒にお昼を食べませんかと誘われて頷いた。
「私?19です」
何となく聞いた年齢に衝撃が走る。若い、と。
私にもそんな時代はあったはずなのに。沢山の経験をしてきている
はずなのに自分の中にポッカリと開いた穴。
空白の時間を埋めないと私はずっと中身のないままなのかも。
妙な焦りを覚え勝手にハラハラしている間に木曜日がやってくる。
「え。俺の歳?ですか」
「失礼な質問でごめんなさい」
「28です」
お昼過ぎ。待ち合わせ場所に向かうと既に守屋さんが居た。
合流して簡単な挨拶を交わしてからの質問。
相手はやはり驚いた顔をしたけれど。
「……年上だ」
もし年下だったら何って事もないけど何故か安心する。
「年下が好み…とか?」
「いえ。むしろ年上の方が私は好」
「好き?」
「す、…凄く頼りになって良いなって」
「どうぞ頼ってください」
自分の過去を探る為に来たのに恥ずかしい自爆をしてませんか私?
「仕事場の人が皆私より若くて。もしかして貴方も?なんて
どうでもいい話しですよね。話すの得意じゃなくて。もしおかしな
ところがあったら気にしないで言ってください」
「俺なんて尋問されてるみたいで怖いとよく言われますから。
こっちこそ不愉快な思いをさせたらすぐ言って欲しい」
「行きましょうか。なんだか人の視線を感じます」
「近くでドラマの撮影があるそうですよ?騒いでました」
それって守屋さんを俳優と勘違いしてるような気がする。
スーツじゃないラフな格好も爽やかで。
新人俳優だと自己紹介されてもきっと信じてしまう。
彼の案内のもと歩き始める。
「守屋さん?」
けど暫くして視線を感じるので隣を見たら目が合う。
「やっぱり見たことがあるなと思って」
言葉を発しようとしたら喉に何か詰まったようになって。
突然心臓がドキドキして痛いくらいになって。
頭の奥からグッと抑え込まれるような鈍痛がする。
この感じって何かに似ているような。ああ、物凄く苦しい。
目を閉じて、3つ数えて。
「……っはっ……はあ…はあ…」
暗かった世界が一気に明るくなって目がカッと開いて体が動く。
前にも同じような体験をしたばかりだった。あの時は座っていて
意識が遠のいて。今回は守屋さんに抱きかかえられている。
「しっかり」
「……び、…びっくりした…」
怖い何かと現実とが混乱してとにかく不安で涙ぐむ。
「……大丈夫だから」
耳元で優しい声がしてそっと頬に温かい感触。
これは唇?
咄嗟に顔を向けるとすぐ側に守屋さんの顔があった。
このまま唇にキスしそう。
「ママあれって撮影してるの?カメラどこー?」
「邪魔しちゃ駄目でしょ」
子どもの無邪気な声に私達はドラマの世界から無事脱出した。