月の砂漠でプロポーズ
 どきん。
 私はあたりをキョロキョロと見渡した。

「なにか害虫でもみかけたか」
「いえ、『ドキン』って音がどこかからか聞こえたな、と」

 渡会さんはくく……と喉の奥で笑い声をたてた。

「高畑さんの空耳、でもないか。君にのみ聞こえたラップ音じゃないのか」

「……そう、なんでしょうか」

 消化しきれない顔をしていたら、手首を掴まれた。手のひらを上にさせられる。

「とりあえずの経費はこれで間に合うか」

 ぽんと、カードを手のひらの上に乗せられてしまった。
 まじまじと見る。
 ブラックである。

「あの。あまり人を信用しないほうがいいのではないでしょうか。人によっては持ち逃げ案件です。私が払ってあとから請求する方式がよいのでは」

「高畑さんは盗むのか?」

 ちらり、と見られた。

「盗む訳ないでしょっ、喉から手が出るほど欲しいけども!」

 私の沽券にかかわるし、ハウスクリーニング業の人間のプライドにかけて、そんなことをするわけがない。

 ぶ、と噴出された。

「そこは『武士は食わねど高楊枝』と言っておくところじゃないのか」

 声が震えている。

「無い袖は振れません」

「用法が違うと思うぞ」

 しばらく、渡会さんのくつくつ喉を鳴らす音と肩の震えは収まらなかった。

 ふんだ。
 豪快に笑ってもらって嬉しいなんて、どうしたものだろう。
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