悪役令嬢は騎士の腕の中で啼く――婚約破棄したら、爵位目当ての騎士様に求婚されました――
 まさかの出来事に、私は驚いてしまう。
 シルヴァは水の中に頭を入れたまま、なかなか顔を出さない。
 慌てて体を起こした私は、シルヴァの背を揺さぶった。
 けれども、やはり頭をなかなか出してはくれない。

(え……どうしよう……このままお兄ちゃんが死んじゃったら……)

 父も亡くなったばかりで、不安がよぎる。
 胸がつぶれそうなほどに苦しくなっていく。

「お願い……シルヴァお兄ちゃん……!」

 必死になって声を上げた。

 その時――。

 ――ざぱんと音を立てて、シルヴァが顔を上げた。
 
 彼の顔からは、ぽたぽたと雫が落ちる。

 私が声をかけようとしたその時――。


「すまない、リモーネ……無意識にこんなことを……」


 突然、その場でシルヴァが土下座した。

(む、無意識……?)

 少しだけ引っかかりを覚えたが、彼の言い分をそのまま聞くことにする。


「先日、短慮だったと言ったばかりだったのに……俺はなんて愚かなんだ……昔からそうだ……お前に嫌われるようなことしか俺には出来ない」


 いつもは不愛想で寡黙な彼の声音は切迫していた。

「え、えっと……」

 状況についていけずに、私も狼狽えてしまった。
 それに「昔から」と言ったが、私がシルヴァを嫌ったりするようなこともなかったはずだ。

「あ、あの、無意識だったんでしょう? お兄ちゃん、私は大丈夫だから、頭を上げて……」

 のろのろとシルヴァが頭を上げて、こちらを見た。

「リモーネは相変わらず優しいな……そう……俺は無意識に……」

 何やら彼はぶつぶつと呟き始めた。
 ふと、気まずそうな彼の碧色の眼と視線が合う。
 しばし沈黙が流れ、小川の流れる音だけが響いた。
 意を決して、素朴な疑問を口にしてみる。

「あの……え、えっと、お兄ちゃんは、その私の身体目当てではなくて、爵位目当てなのよね?」

 ふいっと彼は目をそらした。

「ああ……お前の言う通り、爵位目当て……だ」

「そう……それなら良いの……男の人だから、魔がさすこともあるでしょうし……」

 私はほっと息をついた。半面、少しだけがっかりしてしまっている自分もいる。

(やっぱり目的は爵位なんだわ……目的に関しては嘘をつかれてなかったから良かった……だけど、どうしてかしら――?)

 少しだけ胸の奥がもやもやする。

 一方で。

 シルヴァは本来の不愛想な表情を浮かべていた。

「……リモーネ……お前は元々の婚約者であるクラーケ候にも、その……身体を許したりしていたのだろうか……? 噂を信じるわけでは決してないが、お前がクラーケ侯に尽くしていたという話はよく聞いていたからだな……」

 身に覚えのないことを尋ねられたので、首を横に振った。

「その、クラーケは博打を打つのが好きで、お金を貸してくれって言われたから貸したりしてたけど……身体の関係はなくって……」

 父親からお金を借りたり、高利貸しにこれ以上お金を借りることが出来ないと、クラーケが言っていたことを思い出す。
 私の言葉を聞いたシルヴァが、なぜだか嬉しそうに話し始めた。

「すまない……噂を信じたとかでは断じてないんだ……だが、お前は人が良いから、心配でだな……別にあったらあったで良かったんだが……」

 彼は謝罪をしているつもりのようだが、どう考えても喜んでいるようにしか聞こえない。

(やっぱり、お兄ちゃんの言動が変だわ……)

 いつでも冷静沈着な幼馴染の様子がおかしくて、少しだけ心配になった。

「ああ、でも口づけぐらいはしたんじゃ……?」

 先ほどまで気分が高揚しているようだったのに、シルヴァの表情が一気に曇る。

 私は即座に首を横に振った。

 すると、シルヴァの雰囲気が一気に明るくなったように感じる。

(……たぶん他の人が見ても分からないと思うけれど……シルヴァお兄ちゃんの気分の波が激しい……いつもは全然喋らないのに、今日はすごく饒舌だわ……どうしたのかしら……)

 そんなことを私が考えていると、シルヴァは突然咳き込んだ。

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