悪役令嬢は騎士の腕の中で啼く――婚約破棄したら、爵位目当ての騎士様に求婚されました――
「それは……」
シルヴァが曖昧に返答する。
「……リモーネがそばにいるのを知っていて、そういう言い回しをするのはやめてもらいたい……セピア嬢……そもそも、俺は貴女のそういうところが……」
シルヴァはしなだれかかるセピア公爵令嬢の身体を押しのけながら、低い声で告げた。
「あら……ごめん遊ばせ……でも、リモーネ女伯爵は貴方の隣にはもういらっしゃらなくてよ?」
「え――?」
※※※
表通りとは違い、路地裏には陽が差さず薄暗かった。
そこらに木の箱や、ゴミが散らばっている。
薄汚れた猫がうろうろと徘徊していた。
腐敗した匂いを放つごろつきたちが、壁を背に倒れたりしている。
(間違って、スラム街まできてしまった……早くここから出なきゃ……)
そうは思ったが、なんだか全部もうどうにでも良い気分になっていた。
行く当てもなくふらふらと彷徨い歩いていると――。
「リモーネじゃないか――!」
見知った声が突然背後から聴こえ、私は立ち止まった。
「リモーネ!」
振り返ると、赤茶けた髪の優男――元婚約者クラーケが立っていたのだった。
彼の後ろには、ガラの悪い男たち数名が一見える。
「セピアの産院が終わるのを待っていたら、まさか君に出会えるなんて――!」
彼は私の姿を見ると、嬉々として話しかけてきた。
私はクラーケの顔など見たくないというのに……。
「リモーネ……女性たちの羨望の的である、騎士のシルヴァ殿と結婚したそうじゃないか?」
私は何も答えずに俯いた。
「本当は、君と結婚するのは僕だったのに……」
どの口でそんなことを言うのだろう。
今までにわいたことのないような嫌悪感がわいてくる。
「――セピア公爵令嬢に子どもさえできなければ――僕は子どもなんてまだほしくなかったのに……」
そう言って、彼は私の身体を強引に抱き寄せてきた。
彼の父親としての責任感のない言動に不快感を覚えるとともに、ぞわりと肌が粟立つ。
(どうして私、こんな男の人のために、一生懸命尽くしてきたんだろう……)
「君も僕のことが好きだっただろう?」
そう言って、彼は私の栗色の髪をひと掴みすると口づけてきた。
ぶるりと怖気が立つ。
「わ、私は……」
抵抗したいが、クラーケの抱きしめてくる力が強すぎて離れることが出来ない。
彼の顔が私の顔に近づいてくる。
ぎゅっと目を瞑った。
(どうしよう……助けて……!)
彼の息が頬にかかる。
唇を奪われかけかけた、その時――。
「俺の妻にきやすく触れないでいただきたい。クラーケ侯」
ふっと、クラーケから身体が解放された。
「い、いだだだだ……!」
クラーケの腕をねじり上げていたのは――。
「シルヴァお兄ちゃん……!」
「離せ……!」
シルヴァに腕を掴まれたクラーケが、身体をばたつかせる。
その時、クラーケのフロックコートから何かが落ちた。
「――行くぞ、リモーネ……」
シルヴァはクラーケの腕を離し、何かを拾い上げると、私の手首を掴んで歩き始めた。
そのままクラーケを置いて、路地裏から出ようとする。
「シルヴァ……! 成り上がりの貴族騎士が、侯爵の――いや、未来の公爵になる僕に立てつくとどうなるか、分かってないだろう……!?」
悔し紛れにクラーケが叫ぶ。
「それにお前は、僕の妻になったセピアに振られたそうじゃないか……それで当てつけに、僕の元婚約者だったリモーネに手を出したんだろう……!」
クラーケの言葉に、私の胸がずきんと痛んだ。
「まあ、結局公爵じゃなくて、伯爵でしかないがな……リモーネ、そんな平民出身の男の妻におさまるぐらいなら、未来の公爵である僕の愛人になった方が絶対に得だよ――」
「耳を貸さなくて良い――」
小物めいた発言を繰り返すクラーケを残して、私たちは屋敷へと帰っていった。