悪役令嬢は騎士の腕の中で啼く――婚約破棄したら、爵位目当ての騎士様に求婚されました――

第10話 寡黙な騎士様は、廃墟の中心で愛を叫ぶ?


 ゆっくりと瞼を持ち上げると、そこは見知らぬ場所だった。

(ここは……?)

 カビや錆の匂いが漂っている。はがれかけた天井板が真っ先に目に入る。少しだけ首を横に向けると、変色した壁紙やみすぼらしいカーテンがあるのが分かった。
 自分の身体は、今にも崩れそうなほど古い部屋の、ほこりっぽい壁際に横たえられていた。
 なぜだか分からないが、身体が動かない。

(貧民街の古びた建物……? しばらく誰も住んでいないような場所だわ……どうして私はこんなところに……)

 少しだけ頭を整理することにした。

(そうだわ……屋敷にクラーケと、ガラの悪い男たちが数名現れて……)

 子どもたちに乱暴しようとする彼らを制止したら、彼らに抱えられ、途中で気を失ったことを思い出す。

「私は……」

 その時、歪んだ扉が開くことを示す軋んだ音が耳に響いた。
 部屋に誰かが入ってくるとともに、香水のきつい匂いが鼻につく。

(クラーケ……?)

 てっきり元婚約者のクラーケが現れたのかと思ったが、想像とは違う人物が室内に入ってきた。
 

「あら? リモーネ女伯爵……もうお目覚めなの?」


 部屋の中に現れたのは、豪華な黒い巻き髪に翡翠色の釣った瞳をした女性――クラーケの子を妊娠したセピア公爵令嬢だった。

「セピア様……」

 彼女は妖艶な笑みを浮かべながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
 私を見下ろす位置に立ち止まると、彼女は私を睥睨しながら告げた。

「あんなに悪評が立っているにも関わらず、めげない雑草のような女ですこと……」

 明確な悪意を相手からぶつけられ、戸惑ってしまう。
 どうして、ここまで彼女に嫌われなければならないのかが分からない。

「あの……クラーケは……?」

「私の夫の名を気安く呼ばないでくださるかしら? 彼は今頃、お仲間たちと一緒に、薬にふけっていますわ……私も先ほどまで吸っていたんですけどね」

「薬……? 吸っていた……?」

「ええ……とっても気分が良くなる白い粉でしてよ。皆、あの薬に夢中になって離れられなくなります。すごく高価で、違法の薬物なのが難点ですけれど……リモーネ女伯爵もクラーケにお金をよく貸していたでしょう? 博打の負け方にしては、金遣いが荒いと思われませんでした?」

 彼女の話を聞いて、絶句してしまう。

(確かに酒や博打の使い過ぎにしては、高額なお金を要求してくるとは思っていたけれど……国で取り締まられているような薬に手を染めていたなんて……)

 ただ、納得できるような部分はあった。
 結婚した後も頼りにしたいと、ほんのりと淡い憧れを抱くぐらいには……父である伯爵が、亡くなった後にも私を託したくなるぐらいには、クラーケは善人な青年だったのだ。

(クラーケ……セピア様、妊娠なさっているのに、危険な薬物を吸うなんて……)

 複雑な思いが胸を占める。

 薬を吸って気分が高揚しているセピア公爵令嬢は話を続けた。


「ねえ、リモーネ伯、ご存じかしら? 私、クラーケのことはかけらも好みではございませんの」

「え……?」

 セピア公爵令嬢の話に、私は言葉に詰まる。今しがたの彼女の発言を理解することができずに、身体が硬直してしまう。

「す、好きでもないのに……クラーケと子どもが出来るようなことをしたんですか……?」

 喉がからからに渇くなか、なんとか言葉を発した。

「ええ……だって、私は――」

 彼女はうっとりとした表情で告げた。


「――貴女の夫になったシルヴァ様と結婚したかったんですもの」


 
< 28 / 61 >

この作品をシェア

pagetop