悪役令嬢は騎士の腕の中で啼く――婚約破棄したら、爵位目当ての騎士様に求婚されました――
「池があったの……?」
「ああ」
水浸しになったシルヴァが、ゆっくりと頷いた。彼だけでなく、自分も水に濡れてびしょびしょになってしまっている。
どうやら、廃墟の隣には池があったようだった。
ふと、どこから落ちたのかを見上げてみる。
月に手が届きそうなほど建物は高くて、よく無事だったなと感心してしまった。
鎮火作業は進んでいるようで、少しずつ火の勢いは落ち着いていっているようだった。
「リモーネ……」
彼は、私の頬に張り付いた髪をどける。私の頬を撫でながら告げてきた。
「孤児院の子どもたちの何人かが、お前がこの廃墟に連れ去られた後を付けていたんだ。彼らが場所を教えてくれた――」
「子どもたちが……」
「あとは先日、クラーケの腕をねじりあげた時に、違法薬物を彼が所持していることに気づいて、拠点を探していたんだ。この廃墟には、今、大勢の騎士達で乗り込んでいる。彼らががクラーケ達を捕らえていることだろう」
シルヴァは続ける。
「火は一時、周辺の別の建物まで燃え広がった。いくら貴族とは言え、クラーケ侯爵は罪に問われることだろう……」
シルヴァに身体を抱えられると、池の岸まで連れて行かれた。
私は少しだけ引っかかりを覚えた。
「捕まるのはクラーケだけなの? お兄ちゃん……セピア公爵令嬢は……?」
「セピア公爵令嬢……?」
岸になんとかたどりついた、その時――。
騎士達の姿が目に入る。
「あのリモーネとかいう女が、建物に火を放っていたんですの……! 私の夫であるクラーケは、確かに薬を使っていたかもしれませんが、事件に巻き込まれていただけですの……!」
彼女の発言に、私の身体が一気に強張る。
「そ、そんな……」
たじろぐ私の身体を、シルヴァはぎゅっと抱きしめた。
「リモーネが、そんなことをするはずないって分かっている……だから落ち着け」
彼にそう言われて、私は一度深呼吸をして、気持ちを落ち着ける。
セピア公爵令嬢は、声を荒げる。
「あのリモーネという女が、婚約破棄された腹いせに、ずっとクラーケにつきまとっていたのです。彼女が、夫の跡をつけて、この廃墟に入ったところを私は見ました――そうでしょう、クラーケ?」
ちょうど、その時、騎士達に捕らえられたクラーケが引きずり出されてきた。
「……妻セピアの言う通りです……彼女が付きまとってきて……それで……僕も妊娠している妻に迷惑をかけたくなかったから、頑張って、リモーネのことを拒否していたんですが、付きまといを辞めてくれなくて……」
クラーケの態度に、怒りよりもがっかりした気持ちが強くなる。
「ほら、夫もこう言っているでしょう? 早くリモーネ女伯爵をとらえてくださいませ――!」
セピアが叫ぶ。
その時――。
「――待って、お姉ちゃんはそんなことしてないんだから!!」
この場に似つかわない子どもの声が響く。
「あなたたたち……」
孤児院の子どもたちが、詰めかけてきていたのだった。
「騎士様たち、信じて! お姉ちゃんの屋敷に、このクラーケ侯爵とガラの悪い男たちが乗り込んできたんだから! そうして、廃墟にお姉ちゃんを連れ込んだのは、そっちなんだから!」
「そうだ、そうだ」と大勢の子どもたちが叫び始めた。
彼らに向かって、セピア公爵令嬢が叫ぶ。
「お黙りなさい! 子どもの証言が何の役に立つというの――!? それに私は公爵家の人間よ、平民の言うことなんか、誰が信じるというの――? 平民の言い分を信じるものなんて、ここにはいなくてよ――!」
騎士達は、自分たちがどう動いて良いのか困っているようだった。
セピア公爵令嬢は得意げに話し始める。
「クラーケが自分のものにならないと知ったリモーネ女伯爵が、彼と一緒に死のうとして、この廃墟に火をつけたのです――!」
当然、私は彼女の言うようなことはしていない。
(だけど、証拠がない……私はいったい、どうしたら……)