片想い婚
 夜風の悪戯などではなかった。間違いなく蒼一さんの声が私の脳を揺らした。状況についていけない自分は声も、それどころか吐息も漏らせずにただ黙っていた。

 そっと蒼一さんが私を離す。視界に入ってきた顔は切なげで苦しそうな顔だった。私を覗き込むその瞳が、潤んで揺れていた。

「ずっと言えなくてごめん。臆病で、弱くてごめん。そのために苦しめた」

「……ま、ってください、……え?」

「優しくて、明るくて、人を思いやれる君が好きだった。ずっと昔から」

「嘘、です」

「嘘なんてつかない。信じられないかもしれない、でも信じてもらえるまで言う。
 僕はずっと咲良ちゃんが好きだった」

 真剣な目から、彼が嘘を言っていないなんてわかっていた。いや、元々彼はこんなタチの悪い冗談を言う人ではない。

 ただどうしても素直になれなかった。一緒に暮らしていても同居人状態で、誕生日も他の人に祝ってもらい、最後まで触れてくれなかった彼の告白は信じ難い。

 ついふらつく足で数歩後退した。そんな私を見て蒼一さんが悲しげに眉を顰める。だがすぐに、優しく微笑んだ。

「咲良ちゃん。僕はね、綾乃の居場所を知ってるんだ」

「……え!?」

 突然の真実に声を漏らした。お姉ちゃんの居場所は、結局両親も見つけ出せていない。それをどうして蒼一さんが?

「な、なんで蒼一さんが? お姉ちゃんは今どこにいるんですか?」

「大丈夫、楽しく過ごしている。僕はそのサポートをしてる」

「え?」

「幻滅される覚悟で言う。
 あの結婚式は僕と綾乃が仕組んだ」

 次から次へと、蒼一さんは私の想定外の言葉ばかり出した。口を開けたまま、私はただ唖然とするしかない。

「え?」

「元々綾乃とは仲のいい友達で恋愛感情なんてなかった。お互いにだ。
 もし……綾乃が当日いなくなれば、周りに気を遣う咲良ちゃんが立候補するんじゃないかって、そこまで考えて実行した」

 結婚式の日のことが蘇る。お姉ちゃんがいないと騒ぎになり、蒼一さんは困ったように俯いていた。彼と結婚できるチャンスを活かしたくて、私は立候補した。

 お姉ちゃんの身代わりに、立候補したんだ。

 やや似合わないドレスを着て知らない人たちの前で式を行った。それでも、隣に蒼一さんがいてくれたから乗り越えられた。

 彼は私に数歩近づく。そして叱られた子供のような顔で言った。

「ごめん。僕はね、とっても狡くて酷い人間なんだ。
 幻滅されるかもしれないと思って言えなかった。どうしても君のそばにいたかったから」

 信じられない真実に、私はようやく彼の言葉を理解し始めた。

 じゃあ、あの日お姉ちゃんが逃げることを知っていた。私がその代わりになることも想定されていた。

 私が蒼一さんと結婚したのは、なるべくしてなったっていうこと?

 私の顔を見て、蒼一さんは悲しげに苦笑した。そして再び手をとり、そのまま車に近づいていく。

 助手席に乗せられると、彼は運転席に乗り込んだ。シートのひんやりとした温度が背中から伝わる。ハンドルを握り、けれどもエンジンをかけることなく蒼一さんは言った。

「咲良ちゃんは他に好きな人がいるんだ、って思ってた。だから、僕たちのこの関係をどうしようかずっと考えてたんだ。勢いだけであんな計画をして、先のことまで考えてなかった馬鹿なんだよ僕は」

 どこか遠くを見るように蒼一さんが言う。その横顔を見つめながら、私は彼の言葉に耳を傾けていた。

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