片想い婚
二人でパンに齧り付く。彼女は口の端にケチャップが少し付いていて、指摘しようと思ったが可愛いのでそのままにしておいた。
「そうだ、山下さんは夕方に来てもらうとして。他の家事をしてもらう家政婦さんを雇おうと思うんだけど」
早速咲良に提案した。彼女は目を丸くしてこちらをみる。
「掃除とか、洗濯とかさ。午前中だけでも」
「え、そんな。私上手じゃないけど、それくらいやれます!」
「咲良ちゃんはのんびりゆっくりしててくれればいいんだよ。ね、そうしよっか。あまり人を家に入れたくないなら、三日に一度くらいでも全然」
そう話していると、目の前の彼女の表情が翳ったことに気がついた。
私は少し首を傾げて顔を覗き込む。やっぱり、人に気を遣う彼女は遠慮するだろうか。
「あの、私、ですね」
「うん」
「その、あまり家事とかも得意じゃないですけど、練習してちゃんとこなせるようになりたいですし……形だけの結婚相手でも、ちゃんと頑張りたいんです。仕事で忙しそうにしてる蒼一さんのフォローを少しでもできたら、って……」
「形だけだなんて」
慌てて否定しようとして、その術がないことに気がついた。
私の気持ちを知らない咲良からすれば、家事も何もすることがない自分をそう思っても仕方ないだろうと思った。書類上だけの夫婦みたいなものだ。家と家の関係上嫁いだだけ。
本当は私が君と結婚したかったからこうなっている———だなんて、幻滅されるのを分かりきっている真実を、伝えれるはずがない。
咲良はニコリと笑った。でもその顔は、どこか悲しみに満ちていた。
「だから、それくらいはさせてください! 掃除や洗濯ぐらい!」
気丈な発言に、私は頷くしかできなかった。
心の奥底にあった罪悪感がじわじわと巨大化してくる。だがもう遅い。私は咲良を縛り付けてしまったのだし、今更引き返すことはできない。
なんて、狡い人間。
「分かった、じゃあその辺は咲良ちゃんに任せるね」
「はい!」
「僕も出来ることは手伝うから」
「だめですよ、蒼一さんは仕事があるんですから」
「暇な時もあるんだよ。休みだって」
「そう言う時は休んでてください!」
鼻息荒くして言ってくる姿に笑う。これだ、私は彼女のこういうところに惹かれているんだ。
自分の意思ではない結婚にも、懸命に向き合おうとしている。優しくて、無垢で、真っ直ぐなところ。幼い頃から変わっていないなと思う。
手元のパンを頬張る。全てそれを完食すると、最後にコーヒーを飲んだ。
ふと彼女の手元を見ると、コーヒーではなく紅茶を飲んでいることに気づく。
「あれ、咲良ちゃんってコーヒー飲めないんだっけ」
私が尋ねると、彼女は恥ずかしそうに頷いた。
「実は、苦味が苦手で」
まだほんの小さいうちから見てきて色々知っているつもりだったのに、こんなことも知らなかった。彼女の好みぐらいちゃんと把握したいと思った。
「そっか、うち紅茶はあまり置いてないから、好きなもの買ってきてね」
「あ、ありがとうございます」
「僕はもう行かないと。咲良ちゃんは食べてて」
そう言って立ち上がると、食べてていいと言ったのに彼女も共に立ち上がった。強く止めるのもどうかと思い、そのままにしておく。
持ち物をもち玄関へ向かうと、まるで小動物のように小さな歩幅で私の後ろをついてきた。彼女の背は私よりだいぶ小さいからそう感じるのだろう。そんな様子はあまりに可愛らしくて、ため息が漏れてしまいそうだった。
なんとか平然を装いながら靴を履くと、振り返って笑いかけた。
「では、行ってきます」
「はい、お気をつけて」
「戸締りしっかりね」
そう言って玄関の戸を開けた時、あっと思い出して再度振り返る。不思議そうにこちらを見てくる咲良の口の端には、まだしっかりケチャップがついていた。
「咲良ちゃん、ずっとついてるよ」
私が笑いながら指摘すると、彼女はそのケチャップに負けないくらい顔を赤くさせた。その様子を見てさらに笑ってしまう。
「ず、ずっとなら早く言ってください!」
「ごめんね」
「お見苦しいものをすみませんでした!」
必死に頭を下げる咲良に最後まで笑わされると、私は仕事に向かって家を出た。
「そうだ、山下さんは夕方に来てもらうとして。他の家事をしてもらう家政婦さんを雇おうと思うんだけど」
早速咲良に提案した。彼女は目を丸くしてこちらをみる。
「掃除とか、洗濯とかさ。午前中だけでも」
「え、そんな。私上手じゃないけど、それくらいやれます!」
「咲良ちゃんはのんびりゆっくりしててくれればいいんだよ。ね、そうしよっか。あまり人を家に入れたくないなら、三日に一度くらいでも全然」
そう話していると、目の前の彼女の表情が翳ったことに気がついた。
私は少し首を傾げて顔を覗き込む。やっぱり、人に気を遣う彼女は遠慮するだろうか。
「あの、私、ですね」
「うん」
「その、あまり家事とかも得意じゃないですけど、練習してちゃんとこなせるようになりたいですし……形だけの結婚相手でも、ちゃんと頑張りたいんです。仕事で忙しそうにしてる蒼一さんのフォローを少しでもできたら、って……」
「形だけだなんて」
慌てて否定しようとして、その術がないことに気がついた。
私の気持ちを知らない咲良からすれば、家事も何もすることがない自分をそう思っても仕方ないだろうと思った。書類上だけの夫婦みたいなものだ。家と家の関係上嫁いだだけ。
本当は私が君と結婚したかったからこうなっている———だなんて、幻滅されるのを分かりきっている真実を、伝えれるはずがない。
咲良はニコリと笑った。でもその顔は、どこか悲しみに満ちていた。
「だから、それくらいはさせてください! 掃除や洗濯ぐらい!」
気丈な発言に、私は頷くしかできなかった。
心の奥底にあった罪悪感がじわじわと巨大化してくる。だがもう遅い。私は咲良を縛り付けてしまったのだし、今更引き返すことはできない。
なんて、狡い人間。
「分かった、じゃあその辺は咲良ちゃんに任せるね」
「はい!」
「僕も出来ることは手伝うから」
「だめですよ、蒼一さんは仕事があるんですから」
「暇な時もあるんだよ。休みだって」
「そう言う時は休んでてください!」
鼻息荒くして言ってくる姿に笑う。これだ、私は彼女のこういうところに惹かれているんだ。
自分の意思ではない結婚にも、懸命に向き合おうとしている。優しくて、無垢で、真っ直ぐなところ。幼い頃から変わっていないなと思う。
手元のパンを頬張る。全てそれを完食すると、最後にコーヒーを飲んだ。
ふと彼女の手元を見ると、コーヒーではなく紅茶を飲んでいることに気づく。
「あれ、咲良ちゃんってコーヒー飲めないんだっけ」
私が尋ねると、彼女は恥ずかしそうに頷いた。
「実は、苦味が苦手で」
まだほんの小さいうちから見てきて色々知っているつもりだったのに、こんなことも知らなかった。彼女の好みぐらいちゃんと把握したいと思った。
「そっか、うち紅茶はあまり置いてないから、好きなもの買ってきてね」
「あ、ありがとうございます」
「僕はもう行かないと。咲良ちゃんは食べてて」
そう言って立ち上がると、食べてていいと言ったのに彼女も共に立ち上がった。強く止めるのもどうかと思い、そのままにしておく。
持ち物をもち玄関へ向かうと、まるで小動物のように小さな歩幅で私の後ろをついてきた。彼女の背は私よりだいぶ小さいからそう感じるのだろう。そんな様子はあまりに可愛らしくて、ため息が漏れてしまいそうだった。
なんとか平然を装いながら靴を履くと、振り返って笑いかけた。
「では、行ってきます」
「はい、お気をつけて」
「戸締りしっかりね」
そう言って玄関の戸を開けた時、あっと思い出して再度振り返る。不思議そうにこちらを見てくる咲良の口の端には、まだしっかりケチャップがついていた。
「咲良ちゃん、ずっとついてるよ」
私が笑いながら指摘すると、彼女はそのケチャップに負けないくらい顔を赤くさせた。その様子を見てさらに笑ってしまう。
「ず、ずっとなら早く言ってください!」
「ごめんね」
「お見苦しいものをすみませんでした!」
必死に頭を下げる咲良に最後まで笑わされると、私は仕事に向かって家を出た。