片想い婚




 聳え立つ大きなビルの前でそれを見上げた。一番上が見えないほどの高さで、その入り口は沢山の人たちを食べるようにどんどん人を吸い込んでいった。

 初めてみる蒼一さんの仕事場。うちの会社と同じくらいの規模だということくらいしか知らなかった。今は蒼一さんのお父様が経営しているけど、いずれは蒼一さんがその役割となる。

 こんな多くの人を背負って働くなんて大変だろうなあ……。

「おっと、こんなことしてる場合じゃない」

 私は自分を叱咤して前を向いた。やや緊張しながら前に進んでいく。未だ蒼一さんから折り返しの電話はなかった。もうとっくに会社に着いているはずなのだけれど。

 中に入ると広いエントランスが目に入った。高い天井、掃除の行き届いた清潔感のある床、開放感がすごい。みんな堂々と目的地に向かって歩むなか、私は挙動不審にウロウロした。そして受付におそるおそる近づいた。

 私をみてニコリと営業スマイルを浮かべた綺麗な女性が、丁寧な口調で声をかけてくる。

「おはようございます」

「お、おはようございますあの、すみません、天海蒼一さんいらっしゃいますか」

 やや声が震えてしまった。あまりに自分が場違いで緊張度がマックスになっている。

 受付の人は不思議そうに一瞬目を丸くした。だがすぐにこやかに笑う。

「失礼ですがお名前を伺ってもよろしいですか」

 口は笑っていても、その目はどうみても私を怪しんでいるように見えた。それもそのはず、私のこの佇まいではどうみても仕事関係の人間じゃない。見知らぬ学生のような女が突然この会社の後継に会おうなんて、訝しむのが普通だ。

「あ、あの、私藤田咲良といいまして、あ、間違えた、藤田じゃなくて……」

 情けなくもしどろもどろに言っている時だった。背後から凛とした声が響き渡った。

「私が代わりに承ります」

 振り返ると、一人の女性が立っていた。皺ひとつないシャツに黒いジャケット。背筋がピンと綺麗に伸びていて、自身に満ちた女性という感じがした。セミロングの黒髪は乱れもなく美しい。何より、はっきりした顔立ちの美人だった。

 堂々とした余裕のあるオーラが、どこかお姉ちゃんに似ている、と頭をよぎった。

「あ、あの」

「新田茉莉子と言います、天海は今日は時間が取れないとおもいますので。どういったご用件でしたでしょうか」

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