片想い婚
 笑みもこぼさず淡々と言うその人に萎縮する。綺麗な人だからこそ迫力がある。

 私は怪しい者ではないと証明したくて、鞄から慌ててUSBを探し出す。

「す、すみません。怪しい者ではないんです、これを届けて欲しくて。今日家に忘れていったから……」

「家……?」

 私が差し出すと、新田さんは驚いたように目を丸くした。というか、受付の女性も一緒になって驚いているようだった。私はその様子にたじろいでしまう。

「……天海咲良といいます」

 ここ最近新しくなりまだ慣れていない名前を名乗った。

 新田さんは固まったまま私をみている。そしてその視線を上から下まで動かしゆっくり観察する。私は居づらくなってつい俯いた。

「ああ……奥様でいらっしゃったんですか」

「あ、はい」

「噂どおりの」

 噂、という言葉が聞こえて顔を上げた。新田さんの不思議な表情が目に入る。笑ってるような、怒ってるような、表現しがたい顔をしていた。

「え、噂、って」

「咲良ちゃん!」

 私が声を出した時、大きな声がした。新田さんと同時に振り返ると、こちらに走ってくる蒼一さんの姿が見えた。

「蒼一さん!」

「ごめん、全然スマホ見てなくて」

 彼は少し乱れた息でそう謝る。蒼一さんの姿が見れてホッとした私は微笑んだ。

「いえ、不要なものだったらいいんですが、必要だったら、って思って」

「ううん、すごく助かったありがとう」

「そもそも鞄ひっくり返したの私ですし……」

「確認しなかった僕が悪いんだから」

 私から届け物を受け取ると、蒼一さんが優しく笑った。ようやく安心できる、来てよかったなと思えた。

 そこで思い出したように蒼一さんが新田さんに振り返る。彼女はじっと私たち二人を見ていた。蒼一さんが私に言ってくれる。

「新田茉莉子さん。同じ職場で働いてるんだ」

 新田さんが頭を下げる。そして蒼一さんは次に私のことをこう紹介した。

「妻の咲良です」

 短くそう告げた言葉を聞いて、私の心がぐっと締め付けられる。息ができないとすら思った。
 
 妻、という当然の二文字があまりに嬉しくて泣いてしまいそうになる。形だけだし、戸籍上は妻なんだからそう紹介されるのは当たり前のこと。でもその当たり前が、私にとってはとても重要で嬉しい出来事だった。

 私は蓮也に夫、って紹介できなかったのに。
< 31 / 141 >

この作品をシェア

pagetop