片想い婚
 昔からそうだった。優しすぎて損することも多々ある。そうだ、例えば高校の文化祭。咲良が出し物のために必死にお菓子を焼いたのだが、他の女生徒が「自分が焼いた」と豪語していた。文化祭に参加した私と綾乃はそれが嘘だと気が付き注意しようとしたのだが、咲良はそれを止めた。

『あの子は好きな男子がいるから、ちょっと見栄を張りたいだけなの。別にいいから放っておいて』

 せっかく努力した手柄を横取りされてもそう笑う始末。まあ、結局その女生徒から謝られたらしく大事にはならなかったらしいが。

 そんなことばかりなのだ、彼女は。誰よりも努力家なのに報われないことも多い。それがいじらしく、私は目が離せない。

「……ごめんね」

 小さく囁き、熱い左手を握った。

「こんなに追い込んでるのは僕だ。ごめん」

 本当のことを告げたらなら、どんな顔をするだろう。失望されるのは分かりきっている。自分だって引いてるくらいだ、馬鹿なことをした。

 君があの日、周りのことを気遣って立候補するのは分かりきっていながら綾乃を逃した。

 そんな汚い手を使ってまで、欲しいものがあったんだ。

「……とはいえ、先のことを考えなさすぎた」

 苦笑する。一生このまま同居人として縛り付けるつもりだろうか。咲良の幸せを奪ってまで? 私は幸せでも彼女にとっては不幸でしかない。

 本当に好きな男と結ばれるのが幸せ。

 ただ、それに私の精神が保てるかは別の話。

 眉を垂らして少し子供っぽい表情で寝入る彼女の姿をじっと見つめ、何もはめていない薬指を撫でた。どこかに仕舞い込まれているだろうあの指輪、たった一日しか出番がなかったとは指輪にも申し訳ない。

 その顔を見ていると心の奥から温かなものが溢れ出てくる。眠る彼女の額にそっと自分の顔を近づける。触れそうになった瞬間思いとどまりすぐに離れた。

 苦笑いした。病気で寝込んでるところに手を出すなんて。落ちぶれたもんだな。

 ため息をつきながら、それでも咲良の容体も気になるため床に座り込んだ。その左手だけは握ったままだった。体温を確かめるため……なんて、都合がいいか。

 規則的に響く音楽のような寝息を耳に聞きながら、私はただ小さな左手を握っていた。







 頭上から、何やら変な音が聞こえたのが私の目覚ましだった。ぼんやりと目を開けたとき、体の痛みを覚える。同時に、普段見慣れている寝室とは違うことに気がついた。

 寝ぼけ眼のまま顔を上げてみれば、ベッドの上に座り両手で頬を包んでいる咲良と目が合った。そこでようやく思い出す。

 あのあと自分自身もささっと夕飯を食べ風呂に入った後、何度か咲良の部屋を訪ねて様子を見たり頭を冷やしてあげたりとしている間、そのまま自分も傍で眠っていたらしい。固い床の上で座ったまま寝ていたため体が痛むはずだ。

「あ……おはよ咲良ちゃん」

「そ、蒼一さん、ずっと付いててくれたんですか!?」

「ずっとっていうか……いつのまにか寝ちゃってたな」

 ほとんど咲良の寝顔に見惚れていたから、なんてことは口が裂けても言えない。そういえば手をずっと握ったまま寝てしまった気がするが、咲良に気づかれただろうか。

 咲良はあわあわと慌てながらベッドの上で頭を下げる。

「すみませんご迷惑を!」

「え? 全然迷惑じゃないよ。パーティーの疲れとか溜まってたんでしょう。熱はどうかな」

 私が差し出した右手を、咲良はのけぞって逃れた。すごい形相でいう。

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