片想い婚
私は必死にパソコンに齧り付いていた。
時計を見上げるのはこれで何回目だろうか、切れる集中力をなんとか繋ぎ止め、とにかく仕事を早く終わらせることに夢中になっていた。
私が今日、普段よりだいぶ気合が入っていることを、職場の人間も感じ取っているようだった。いつもより視線を感じる。不思議そうにこちらを眺めてくる人間にも気がついていたがどうでもいい。今日のために仕事もちゃんとコントロールしてきた。
待ちにまった自分の誕生日だった。この年になって誕生日にワクワクしているなんて、小学生と変わらない。だが高鳴る胸が抑えきれないでいた。
仕事なんて休んでしまおうか、と実は思っていた。だがそうなれば、咲良が私のためにこっそりケーキを焼くことができなくなってしまう。私は何も気づかないフリをして普段通り出社し、とにかく定時に上がれるように全力を尽くしていた。
流れは順調だった。一分一秒も無駄にしたくない、上がれる時間になったらすぐに立ち上がってここをでる。私はそう強く心に決めていた。
(さて、もうそろそろか)
時計を見上げて一人頷く。パソコンをシャットダウンしようとした時、こちらに近づいてくる人影に気がついた。
スーツを着こなし、髪もしっかり手入れされたその人は新田茉莉子だった。彼女は私のデスクまで近づくと声をかけてくる。
「天海さん」
「どうしたの?」
「本日これから時間ありますか?」
「ないね」
即答した。普段の私なら多少の用事ぐらいなら『どうかした?』と聞いていただろうが今日は違う。
新田さんは困ったように眉を下げた。
「実は、企画部の木村さんがどうしても今日中に相談したいと」
それを聞いて、今度は私が眉を下げる番だった。
「明日にしよう」
「明日から木村さん出張なんですって。今進行中のプロジェクトについて一刻も早くお話したいとのことで」
私は困り視線を泳がせた。今手がけているプロジェクトは重要なもので、とても力を入れているものだ。もちろん新田茉莉子も携わっている。木村という人は仕事もでき人望ある、私も一目置いている相手だった。
新田さんは付け足す。
「あまり時間は取らせない、とのことでした」
「…………」
仕方ない。私はため息をついた。
「分かった、短時間でなら付き合う。呼んでもらっていいよ」
「外の店を予約してあるそうです」
「なんでわざわざ? 社内でいいんじゃないか」
「社内で話しにくいことみたいです」
やや声をひそめた彼女に、一体どんな話が飛び出すのかと不安が募る。あのプロジェクトは絶対成功させなければならないものなのだが。
私は立ち上がり身の回りの支度を始めた。
「分かった、そうということならすぐに行こう。僕もあまり時間を取られたくない」
「わかりました」
新田さんは踵を返し素早く動いた。私はポケットからスマホを取り出し、咲良に連絡する。仕事で職場の人たちと少し飲むこと、でもなるべく早く終わらせて帰ることを告げる。
すぐに返事は返ってきた。『大丈夫です、待っています。頑張ってくださいね』と、機嫌を損ねた様子のない文面に少しだけ安心した。
ついてないな。なぜ昨日言ってくれなかったんだ、よりにもよって今日そんな話をしてくるなんて。私は一刻も早く帰りたくて仕方ないというのに。
スマホを再びポケットにしまい込むと、私は鞄を持ってその場から去った。