片想い婚
場所は会社からすぐにある個室のある和食屋だった。新田さんに連れられ中へ入ると、やや狭めの個室に通される。木村さんの姿はまだ見えていなかった。私が座ると、新田さんも隣に腰掛ける。
彼女はメニューを取り出し私の前で開いてくれた。
「何か飲まれますか」
「いや、今はいいよ、木村さんがきてから」
腕時計を眺める。本来ならもう家に向かっているはずなのに、とため息をついた。
そんな私の様子に気がついているのか、新田さんが言う。
「何かご予定があったんですね」
「まあね」
「急いでいる天海さん珍しいから」
「今日だけはなるべく早く上がりたいんだ」
「お誕生日だからですか」
ストレートに言われて苦笑した。どこでそんなことを知ったんだこの人は。いい年にもなって誕生日を楽しみにしてる男だとバレてしまった。
「そう。木村さんがなんの話かわからないけど、できれば早めに切り上げたい」
「分かりました」
彼女は頷いて納得した。少し安心する。新田さんは基本仕事もできるし、こう言う時上手く立ち回れるタイプだ。色々と器用、といえばいいか。
新田さんはスマホを取り出し覗き込む。少し操作した後私に言った。
「木村さん、少しだけ遅れるそうです」
「……わかった」
苛立ちをなるべく抑えるようにして返事を返した。彼も仕事か何かですぐに来れないんだろう、仕方ない。
私は自分のスマホも取り出し咲良から連絡がないか確認する。さっきのメッセージ以降何も来ていないようだった。ふうとそのままスマホを置く。
家に帰れば食事も用意してある、ここで腹を膨らませるわけにはいかない。少し烏龍茶でも飲んであとは二人で食事をとってもらおう。
咲良がケーキを焼いている姿を想像する。山下さんの指導の元、きっと必死になってやったに違いない。どんなものが仕上がっているのか思い浮かべるだけで頬が緩みそうだった。
きっと砂糖の代わりに塩が使ってあったとしても、私は美味しいと完食する自信がある。
ソワソワしながら木村さんの到着を待った。
ところが、だ。
彼はなかなか店に現れなかった。
私と新田さんはずっと注文をしないのも店に悪いと思いドリンクだけ先に飲んでいた。チラチラと時計を眺めては来ない約束の相手を待った。
新田さんも不思議そうに首を傾げながら『来ませんねえ』と呟く。焦る気持ちをなんとか隠しながら待つも、今日ばかりは気持ちの余裕がない。
一度トイレに立ち、戻ってきた時には店へ来てから三十分以上が経過していた。それでも席に戻っても座っているのは新田さん一人だ。最初に注文した烏龍茶はすでにほとんど無くなっていた。再度時計をみた私はついに痺れを切らす。
「何か連絡あった?」
「もうすぐ着くかと」
普段の自分ならいくらでも待つだろう。仕事をしていると上手くそれを切り上げられない時があることを知っている。それでも今日だけは勘弁してほしかった、あとの364日なら文句言わず待つというのに。
私は新田さんの隣に腰掛けた後、柄にもなく苛立ちながら言った。
「僕から連絡しよう」
テーブルの上に置いてあるスマホに手を伸ばした。しかしそれを、柔らかな手が包んで止めたことに気がつく。私の手を新田さんが握っていた。
驚きで隣を見る。彼女はじっとこちらを見つめ、しっかりリップの塗られた唇から言葉を漏らした。
「すみません」
「え?」
「木村さんが話したいなんて言ってるの、嘘です」