片想い婚
……電話、したら迷惑かな。
普段の自分だったら邪魔になってはいけない、と電話なんてしたことなかった。用があれば必ずラインだ。でも今日はなぜか、彼の声が聞きたいと思ってしまったのだ。誕生日というイベントが私の気持ちも大きくさせたのだろうか。
出るのが無理だったらそれでいい、たまには掛けてみようか。こういうのってなんか、お、奥さんぽいっていうか……。
私はドキドキしながら今までほとんど呼び出したことのない番号を選んだ。手短に伝えればいいよね、気にせずご飯食べてきてくださいって。ゆっくりしてきていいですよって。
耳にコール音が響き渡る。ただの電話をするだけなのに心臓がうるさくてかなわない。平べったい機械を必死に耳に押し当てながら待っていると、相手が突然電話にでた。びくんと体が跳ねる。
「あ、も、もしもし蒼一さんですか!」
『もしもし?』
耳に入ってきた声を聞いて止まる。それは想像していた彼の声ではなかった。落ち着いた、それでいて綺麗な女性の声だった。
「あ、の。あれ?」
『こんばんは咲良さん。新田です』
「あ、新田さん、ですか」
言われてみれば新田さんの声だった。突然聞くと誰かわからなくなるものだな、私はなんとなく背筋を伸ばす。
『すみません、天海さん今お手洗いで』
「そうですか、いえ大丈夫です、大した用じゃないから」
『今から食事を取ろうかと。誕生日なのに旦那様をお借りしてすみません』
「いいえ、別にだい」
『誕生日だから食事ぐらい二人で行こう、って誘われてしまって』
言いかけた言葉が止まった。自然とスマホを握る力が強くなる。ひんやりと心が冷えた。
あれ? 二人、で?
蒼一さんから、誘ったの?
脳裏に蒼一さんと新田さんが二人で食事をしている姿を思い浮かぶ。それは大変絵になる二人だった、新田さんは綺麗で大人っぽくて素敵な女性だ。
「あれ? 職場の人たち、って蒼一さん……」
私が唖然として呟くと、電話口からしまった、というような声がわずかに聞こえた。その音が自分を絶望の海に突き落とす。目の前が真っ白になった。
『でも、少しの時間って約束ですから。あまり長くはかかりません』
「…………」
『ちゃんと天海さんは奥様への義務も果たしますから。少しだけ話したら帰宅されます』
義務?
家に帰ってくるのは、蒼一さんの義務なの?
震える唇からは何も漏れてこない。私が一応は妻だから気を遣って帰ってくるというのだろうか。本当は私に祝ってもらいたい気持ちなんてないのに、しょうがなく帰ってくるんだろうか。
本心では、新田さんに祝ってほしいの?
とどめを刺された気分だった。優しい蒼一さんの態度に期待しすぎたんだろうか、私は彼に踏み込みすぎたんだ。
目から水がじんわり浮かんでくる。声を出したら泣いてることがバレるので私は何もいえなかった。
『これからケーキだけ食べていきますね。美味しいの買っておいたんで。ではまた』
新田さんはそれだけ言うとあちらから電話を切った。私はそっと耳からスマホを離してそれを見つめる。ついにこぼれ落ちた涙が画面を濡らした。
そういえば、新田さんはとても綺麗な人で、自信に溢れていて、かっこいい人だった。いつだったかどこかお姉ちゃんに似てる気がする、と思ったのを思い出す。私とは正反対の女性だった。
「そっか……新田さんに、お祝いしてもらいたかったのか……」
呟きながらつい笑ってしまう。そうだ、お姉ちゃんを忘れて私を見てくれるのを待っている、だなんて。お姉ちゃんを忘れたあと、なぜ私を選んでくれるって夢見てたんだろう。こんな子供っぽくてどこにでもいるような私。一つ屋根の下にいても手も出してもらえないのに。
頬を流れる涙を手のひらで拭く。一年に一度の誕生日、好きな人に祝ってもらいたい気持ちは十分わかる。
でもきっと蒼一さんは優しいから、私のことも気遣ってこの家に帰ってきてくれるんだ。
「……ケーキ」
ポツンと呟く。フラフラとした足取りで冷蔵庫に向かうと、昼に焼いたケーキがそのままの姿で箱に入っていた。山下さんに付き合ってもらって出来はいい。それでも、なんとも思ってない女からの手作りケーキなんて嬉しいわけがない。
新田さんは美味しいケーキを用意してるって言ってた。こんなんじゃダメだよ……。
私は無言で白い箱を取り出す。冷蔵庫の扉を閉めると、そばにあるゴミ箱の蓋を開けた。同時に自分の口から嗚咽が漏れる。私はその中に箱を落とした。カタン、と軽い音が響く。
私は自分の悲しみの感情を仕舞い込むように、ゴミ箱に蓋をした。やっぱりこんな夫婦関係、無駄な時間を過ごしているだけなのかもしれない。
普段の自分だったら邪魔になってはいけない、と電話なんてしたことなかった。用があれば必ずラインだ。でも今日はなぜか、彼の声が聞きたいと思ってしまったのだ。誕生日というイベントが私の気持ちも大きくさせたのだろうか。
出るのが無理だったらそれでいい、たまには掛けてみようか。こういうのってなんか、お、奥さんぽいっていうか……。
私はドキドキしながら今までほとんど呼び出したことのない番号を選んだ。手短に伝えればいいよね、気にせずご飯食べてきてくださいって。ゆっくりしてきていいですよって。
耳にコール音が響き渡る。ただの電話をするだけなのに心臓がうるさくてかなわない。平べったい機械を必死に耳に押し当てながら待っていると、相手が突然電話にでた。びくんと体が跳ねる。
「あ、も、もしもし蒼一さんですか!」
『もしもし?』
耳に入ってきた声を聞いて止まる。それは想像していた彼の声ではなかった。落ち着いた、それでいて綺麗な女性の声だった。
「あ、の。あれ?」
『こんばんは咲良さん。新田です』
「あ、新田さん、ですか」
言われてみれば新田さんの声だった。突然聞くと誰かわからなくなるものだな、私はなんとなく背筋を伸ばす。
『すみません、天海さん今お手洗いで』
「そうですか、いえ大丈夫です、大した用じゃないから」
『今から食事を取ろうかと。誕生日なのに旦那様をお借りしてすみません』
「いいえ、別にだい」
『誕生日だから食事ぐらい二人で行こう、って誘われてしまって』
言いかけた言葉が止まった。自然とスマホを握る力が強くなる。ひんやりと心が冷えた。
あれ? 二人、で?
蒼一さんから、誘ったの?
脳裏に蒼一さんと新田さんが二人で食事をしている姿を思い浮かぶ。それは大変絵になる二人だった、新田さんは綺麗で大人っぽくて素敵な女性だ。
「あれ? 職場の人たち、って蒼一さん……」
私が唖然として呟くと、電話口からしまった、というような声がわずかに聞こえた。その音が自分を絶望の海に突き落とす。目の前が真っ白になった。
『でも、少しの時間って約束ですから。あまり長くはかかりません』
「…………」
『ちゃんと天海さんは奥様への義務も果たしますから。少しだけ話したら帰宅されます』
義務?
家に帰ってくるのは、蒼一さんの義務なの?
震える唇からは何も漏れてこない。私が一応は妻だから気を遣って帰ってくるというのだろうか。本当は私に祝ってもらいたい気持ちなんてないのに、しょうがなく帰ってくるんだろうか。
本心では、新田さんに祝ってほしいの?
とどめを刺された気分だった。優しい蒼一さんの態度に期待しすぎたんだろうか、私は彼に踏み込みすぎたんだ。
目から水がじんわり浮かんでくる。声を出したら泣いてることがバレるので私は何もいえなかった。
『これからケーキだけ食べていきますね。美味しいの買っておいたんで。ではまた』
新田さんはそれだけ言うとあちらから電話を切った。私はそっと耳からスマホを離してそれを見つめる。ついにこぼれ落ちた涙が画面を濡らした。
そういえば、新田さんはとても綺麗な人で、自信に溢れていて、かっこいい人だった。いつだったかどこかお姉ちゃんに似てる気がする、と思ったのを思い出す。私とは正反対の女性だった。
「そっか……新田さんに、お祝いしてもらいたかったのか……」
呟きながらつい笑ってしまう。そうだ、お姉ちゃんを忘れて私を見てくれるのを待っている、だなんて。お姉ちゃんを忘れたあと、なぜ私を選んでくれるって夢見てたんだろう。こんな子供っぽくてどこにでもいるような私。一つ屋根の下にいても手も出してもらえないのに。
頬を流れる涙を手のひらで拭く。一年に一度の誕生日、好きな人に祝ってもらいたい気持ちは十分わかる。
でもきっと蒼一さんは優しいから、私のことも気遣ってこの家に帰ってきてくれるんだ。
「……ケーキ」
ポツンと呟く。フラフラとした足取りで冷蔵庫に向かうと、昼に焼いたケーキがそのままの姿で箱に入っていた。山下さんに付き合ってもらって出来はいい。それでも、なんとも思ってない女からの手作りケーキなんて嬉しいわけがない。
新田さんは美味しいケーキを用意してるって言ってた。こんなんじゃダメだよ……。
私は無言で白い箱を取り出す。冷蔵庫の扉を閉めると、そばにあるゴミ箱の蓋を開けた。同時に自分の口から嗚咽が漏れる。私はその中に箱を落とした。カタン、と軽い音が響く。
私は自分の悲しみの感情を仕舞い込むように、ゴミ箱に蓋をした。やっぱりこんな夫婦関係、無駄な時間を過ごしているだけなのかもしれない。