片想い婚
もう息さえも上手く出来ている自信はなかった。この前の誕生日の一件をみても、蒼一さんが新田さんに好意を持っているのは間違いない。とてもお似合いだと私ですら思う。
何も言えない私を見てお母様は言う。
「彼女の気持ちはもう確認済みです。気が利くし頭もいい。何より蒼一の仕事に対して理解があります。妻として相応しい」
「そ、蒼一さんはなんて?」
「言いましたね、あの子は優しすぎる。きっとあなたに罪悪感を感じて離婚なんて言い出せないでしょう。だからあなたに頼んでいるんですよ」
「私」
「よく考えてくださいね咲良さん。
あなたの決断で、幸せになる人たちがたくさんいますよ」
そう言い切ると、お母様はじっと私を見た。逃げられないような強い視線で私を捉えている。
二人しかいない広い家で沈黙が流れる。瞬きをするのさえ許されないような圧迫感で、私は苦しくて倒れそうだった。
「……考え、させて、ください」
必死に絞り出した声でそれだけ答えた。目の前に置かれた紅茶はほとんど中身が残ったまま冷めていた。
夜になり、私は自分の部屋でベッドに腰掛けていた。
帰宅した蒼一さんとは普段通り接し、共に夕飯をとった。だが食欲がなく箸が進まない私を彼は心配してくれた。
おやつを食べてしまいお腹が空いていない、ということにして笑い誤魔化す。彼は信じたようで安心した顔を見せていた。
一通り後片付けや入浴も済ませ、いつも通りおやすみなさいと挨拶を交わして自分の部屋に入った。彼と二人で買ったベッドがそこにはひっそりとある。
そこに座り込み、じっと考えていた。
『あなたの決断で、幸せになる人たちがたくさんいますよ』
最後に聞いたあの言葉が自分の胸を突き刺す。もやもやして、痛くて、悲しくて、虚しかった。
自分が座っているベッドのシーツをそっと撫でる。やっぱりベッドを買おうと言われた時、もっと強く拒否すればよかった。部屋を別にされてから私たちの距離はもっとできた気がする。
『これだけ一緒にいて夫婦ごっこでは、もう進むことは無理でしょう』
一番痛いところを突かれた。ぐうの音も出ない正論だ。
もうそろそろ三ヶ月。蒼一さんと一緒に暮らしてそれぐらい経つことになる。なのに、いつまで経っても私たちはただの同居人だ。今更ステップアップすることはまずない。
しかも彼にはもっと大事な人がいるみたい。笑えてくる、こんなにそばにいたのに選んで貰えないなんて。
目から流れた水を着ているパジャマの袖で拭き取った。鼻をずずっと啜る。
だが私は必死にその涙を堪えた。泣いてる場合じゃないと思ったからだ。
お母様の言うことは尤もで反論のしようがない。それでも、形だけでも、蒼一さんの妻は私だ。たった紙切れ一枚の約束だけど、紛れもなく私が結婚している。
「……負けたくない」
いくら蒼一さんが私を好きじゃなくても、私の元へ帰ってくるのを義務だと思ってるとしても、私は彼と離れたくなかった。狡いと自分でもわかってる。
でも手に入らないと思っていた相手がこんなに近くにいる。それだけで奇跡なんだ。私はこの奇跡を手放したくない。
決意する。
私は一度深呼吸をして立ち上がる。もう一度涙を拭き取って泣いていたことがバレないようにする。
そのまま自室を出た。すぐ目の前にある茶色のドアの前に立ち、ぐっと顔を上げる。
全身は震えて言うことを聞かないぐらいだった。それでも覚悟を決め、私はその扉をノックする。
何も言えない私を見てお母様は言う。
「彼女の気持ちはもう確認済みです。気が利くし頭もいい。何より蒼一の仕事に対して理解があります。妻として相応しい」
「そ、蒼一さんはなんて?」
「言いましたね、あの子は優しすぎる。きっとあなたに罪悪感を感じて離婚なんて言い出せないでしょう。だからあなたに頼んでいるんですよ」
「私」
「よく考えてくださいね咲良さん。
あなたの決断で、幸せになる人たちがたくさんいますよ」
そう言い切ると、お母様はじっと私を見た。逃げられないような強い視線で私を捉えている。
二人しかいない広い家で沈黙が流れる。瞬きをするのさえ許されないような圧迫感で、私は苦しくて倒れそうだった。
「……考え、させて、ください」
必死に絞り出した声でそれだけ答えた。目の前に置かれた紅茶はほとんど中身が残ったまま冷めていた。
夜になり、私は自分の部屋でベッドに腰掛けていた。
帰宅した蒼一さんとは普段通り接し、共に夕飯をとった。だが食欲がなく箸が進まない私を彼は心配してくれた。
おやつを食べてしまいお腹が空いていない、ということにして笑い誤魔化す。彼は信じたようで安心した顔を見せていた。
一通り後片付けや入浴も済ませ、いつも通りおやすみなさいと挨拶を交わして自分の部屋に入った。彼と二人で買ったベッドがそこにはひっそりとある。
そこに座り込み、じっと考えていた。
『あなたの決断で、幸せになる人たちがたくさんいますよ』
最後に聞いたあの言葉が自分の胸を突き刺す。もやもやして、痛くて、悲しくて、虚しかった。
自分が座っているベッドのシーツをそっと撫でる。やっぱりベッドを買おうと言われた時、もっと強く拒否すればよかった。部屋を別にされてから私たちの距離はもっとできた気がする。
『これだけ一緒にいて夫婦ごっこでは、もう進むことは無理でしょう』
一番痛いところを突かれた。ぐうの音も出ない正論だ。
もうそろそろ三ヶ月。蒼一さんと一緒に暮らしてそれぐらい経つことになる。なのに、いつまで経っても私たちはただの同居人だ。今更ステップアップすることはまずない。
しかも彼にはもっと大事な人がいるみたい。笑えてくる、こんなにそばにいたのに選んで貰えないなんて。
目から流れた水を着ているパジャマの袖で拭き取った。鼻をずずっと啜る。
だが私は必死にその涙を堪えた。泣いてる場合じゃないと思ったからだ。
お母様の言うことは尤もで反論のしようがない。それでも、形だけでも、蒼一さんの妻は私だ。たった紙切れ一枚の約束だけど、紛れもなく私が結婚している。
「……負けたくない」
いくら蒼一さんが私を好きじゃなくても、私の元へ帰ってくるのを義務だと思ってるとしても、私は彼と離れたくなかった。狡いと自分でもわかってる。
でも手に入らないと思っていた相手がこんなに近くにいる。それだけで奇跡なんだ。私はこの奇跡を手放したくない。
決意する。
私は一度深呼吸をして立ち上がる。もう一度涙を拭き取って泣いていたことがバレないようにする。
そのまま自室を出た。すぐ目の前にある茶色のドアの前に立ち、ぐっと顔を上げる。
全身は震えて言うことを聞かないぐらいだった。それでも覚悟を決め、私はその扉をノックする。