片想い婚
「はい」

 中から蒼一さんの声が聞こえた。少しして、扉が開かれる。そこから彼の顔が見えた。

 不思議そうな表情で私を見下ろしている。

「どうしたの? なんかあった?」

「……今、ちょっといいですか」

「え? う、うん。いいよ。じゃあリビングに」

「ここでもいいですか。少し話したいんです」

 どこか戸惑ったような顔で、それでも微笑んでくれた。蒼一さんが中へ招き入れてくれる。

 まだ結婚したての頃二人で寝たベッドが見えた。かなり大きくて、今は蒼一さんだけのものになっている。それを見ただけで胸が苦しくなった。

 蒼一さんがベッドに腰掛ける。私はその隣に座り込んだ。ほんの数十センチの距離がある。そのもどかしい隙間が、私たちの関係を表しているように思えた。

「どうしたの、なんかあった?」

 優しい声でそう聞いてくる。私はバクバクと大きく鳴る心臓を賢明に抑え、なんとか言葉を出した。

「あの。ずっと、思ってたんです」

「うん?」

「お姉ちゃんがいなくなって、その代わりに私が立候補して。結構な時間が過ぎました」

「……そうだね」

「私たちこのままでいいのかなって」

 蒼一さんが黙る。きっと、彼も心の中で思っていたんだろう。この中途半端な関係をこのままにしておくべきじゃない。

 私はぎゅっと拳を作る。唾液を飲み込むのさえ困難なほど緊張しながら、それでも続けた。

「前、パーティーを頑張ったから、何かお礼をしてくれる、って言ってましたよね」

「……うん、言ったね」

「まだ有効ですか」

「ああ、もちろん。なんでも言って」

 どこか小さな声でそう言った。その言葉を聞いて、私は体ごと彼の方を向く。蒼一さんはチラリとだけこちらを見た。なぜか切なそうな顔に見えた。

 私は彼の目を見ることができず、少し視線を落としたまま、それでもしっかりとした声で提案した。

「……進みませんか」

 私の言葉に、彼は一瞬キョトン、と表情を変えた。

 カラカラに乾いた唇を少しだけ舐め、私はさらに続ける。

「別に、その、気持ちなんてなくていいんです。他の誰かに見立ててもらってもいいですし、そこまでは求めません。ただ、このままでいるのは」

「咲良ちゃん? えっと、何のこと?」

 戸惑うように蒼一さんが聞き返す。私は意を決して彼の目を見、一番言いたかったことを一気に言った。

「抱いてくれませんか」

 油断したら泣いてしまいそうだった。

 蒼一さんは目を丸くして私を見ている。恥ずかしくて、情けなくて、でもこうするしかないんだと自分を励ました。

「………………え?」

 彼の唇が小さく動く。訳がわからない、というように私を見つめていた。

 女の自分からこんな提案をすることが、どれほど滑稽でみっともないかわかっている。それでも足掻くにかこれしかなかった。気持ちがなくても、たとえ仮面夫婦でも、あなたの側にいる方法は他にない。

 幼い頃から抱いてきた片思いを、手放すことはしたくなかった。この際愛されたいなんて贅沢は言わない、ただあなたと離れたくない。

 心は私のそばになくても、せめて……。
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