わたしのカレが愛するもの
「そっか。残念だけど、仕事ならしかたないね。飲んじゃったから送れないけど、いまタクシー呼ぶ」
「いいよ、まだ電車あるし……」
「ダメ! 真っ暗な夜道をひとりで歩かせるなんて、絶対無理」
滅多なことでは、わたしの主張や意見を否定しないコウくんが、「ダメ」と言ったときは、何を言っても「ダメ」だ。
その場で電話を架けたコウくんが、「十分くらいで来るって」と言うのに頷いた。
「ありがと。バスルーム借りるね?」
さほど酔ってはいなかったけれど、頭も気持ちもすっきりさせたくて、バスルームで手を洗い、メイクを直す。
『たとえコンビニに行くだけでも、家の外に出るならきちんとした装いをしなさい。華美な装いをする必要はないけれど、ジャージにすっぴんノーメイクなんて言語道断よ!』
と事務所の所長には、言われている。
フェイスパウダーを叩き、唇にグロスを少し載せ、見苦しくない程度に整えてから廊下へ出たところで、エルサと行き合った。
偶然のはずはなく、待ち伏せていたのだと思われる。
彼女は、冷ややかなまなざしでわたしを一瞥すると、ぼそっと呟いた。
『コウには、彼の研究を理解し、一緒に活動できる、もっと相応しい相手がいる。キレイなだけが取り柄のファッションモデルと結婚するなんて、どうかしてるわ』
『もっと相応しい相手って、自分のことを言ってるの?』
わたし自身の容姿や語学力のこと、社交的ではない性格だけを批判されたなら、聞き流すこともできた。
でも、モデルという職業を貶されて、黙ってはいられなかった。
わたしが言い返してくるなんて、予想していなかったのだろう。
エルサは驚きに目を見開き、噛みついてくる。
『あなた……喋れるなら、そう言いなさいよ!』
『訊かれなかったから、言わなかっただけよ。海外のブランドデザイナーとのコミュニケーションには、外国語が必須。翻訳されていない資料を渡されることもあるわ。ファッションモデルに英語は理解できないっていう研究結果でもあったのかしら?』
モデルなんて、ただ服を着て、歩いたりポーズを取ったりしているだけだ、と思っている人はエルサに限らない。
でも、歩いたりポーズを取ったりして、「服」が一番ステキに見えるよう演出するには、目に見えない努力を山のように積み上げなくてはならない。