天正さんちの家族ごっこ〜私に異母兄弟が七人もいる件について〜
 嫌だ、嫌だ。どこ行っちゃったの!?

 あれはお母さんが買ってくれた、大切なキーホルダーなのに。お母さんと箱根に旅行に行った時に、お母さんがお土産に買ってくれた物だったのに。

 また旅行しようね──。

 そう約束したのに。なのに結局あれっきりになっちゃった、最初で最後の旅行の思い出の、大切なキーホルダーだったのに。

 もし失くなっちゃったら、私は、私は……!

 そんなの、絶対に嫌だっ!!

 後ろで菊がなにか言ってるような気がしたけど、それでも私は腰を曲げ、必死になって手を動かし続ける。だけど先程からつかむのはむなしい感触ばかりで。本当に見つかるかな。見つからなかったらどうしよう。……ううん、ダメだ。そんなこと考えちゃ。とにかく手を動かさないと。

 一体どのくらいの時間が経過したのか。ただ空の色が暗くなり、手元も見えづらくなっていた。まだ五月という時期の水は冷たく、始めは刺すような痛みを肌に感じていたけど、今では手と足の感覚はなくなって、よく分からなくなっていた。

 もうダメかも……。あきらめかけた、その刹那。突然ぐいと腕を引かれ――、
「おい、牡丹」
 それから、
「これだろう?」
 菊が私の顔の前に犬のキーホルダーを突き出した。間違いなく、それは私の物だった。

 気付いたら菊も池の中に入っていて、私の隣に並んでいた。もしかして菊もずっと探してくれていたの……?

 そんな菊から私は、
「あ、ありがとう……」
 キーホルダーを受け取ってお礼を言うけど、菊はやっぱり、
「別に」
と、つんと言い退ける。

 ……あれ、どうしたんだろう。私、ちょっとドキドキしてる。

 菊、さっき私のこと、牡丹って、そう呼んだよね? 今までは、お前とかアンタだったのに。初めて私の名前、呼んだよね……?

 ばくばくとひとりでに跳ね上がる心臓を、私はどうすることもできず。不可思議な動悸に動揺しながらも、「さっさと出ろよ」と口悪い菊に続いて池から上がった。

 結局はそれをうまく処理できないまま、私はぎゅっと手の中のキーホルダーを握り締める。菊と肩を並べ、ぼたぼたと大きな水しずくをコンクリートの上に垂らしながらも残りの帰路を歩いて行った。
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