好きになったのが神様だった場合
*
何処へ行くともなく、二人は並んで歩いた。
他愛もない話でも、何故だか楽しい気持ちになれた。
天之御中主神にしてみれば社を離れて出歩く自体が珍しいことでそれだけでもワクワクするのに、その相手が長く社越しにしか見る事の出来なかった明香里であるなどとは、まさに雲にも上る気持ちだった。
明香里の喜びもその比ではない。子供の頃から思ってきた相手と今並んで歩いているのだ、まさに夢のようだった。
もう少し望んでもいいだろうか、少しだけ触れてもいいだろうか──明香里はそっと天之御中主神の腕に指を掛ける。
それに天之御中主神も気が付いた、その指に自身の手を押し付けしっかりと握り、離れまいとする。
他愛もないのに、貴重な時間だった。
その楽しい時間が終わりを迎えようとしているのを、天之御中主神は体で感じた。わずか20分ほどのデートだった。ふと足を止める、明香里も気付いて止まった。
「天之くん?」
長身を見上げる、寂しげな笑みとぶつかった。
「もう、しまいのようだ」
一瞬言葉の意味が理解できなかったが、天之御中主神の悲し気な瞳に会話を思い出した。今はたまたま見えるだけなのだと。夏祭りの夜もそうだったように。
「明香里、待っている」
「ん……」
「俺もどうにか顕現できるよう、手段を考えておくから。これからも来てくれ」
「うん……」
哀し気な明香里がほおっておけず、うつむくその頬をそっと撫でる。明香里の目に涙が浮かぶのが見えた。
「泣くな。お前に泣かれると辛い」
明香里は鞄から小さなタオルを出して目を押さえ涙を吸い取る。
「明香里、俺は間違いなく見ているから……」
「私が来られるのは、あと半年だから」
明香里は意を決して打ち明けた、黙っていられることではない。
「──なに?」
「私ね、春には進学の為に引っ越しするの。東北の大学に入学が決まってしまって。よほどの事がない限りそっちに行くつもり。勿論親はこちらにいるから、時々は帰ってくるけど。春になったら、今までみたいに来れないの。もちろん引っ越しするまでは毎日来るけど」
泣き出しそうな明香里の目を見て、天之御中主神は言葉を失くす。ただそっと指で明香里の頬をなぞっていた。
(──行くななどとは言えん)
唇をかみしめた。
(引き留めたところで、俺は逢ってすらやれないのに)
明香里を抱きしめる、だがすでに感触があやしい、油断すれば突き抜けてしまいそうだ。
「──それまででもよい。お前さえ嫌でなければ来てくれ。俺はお前を見ている」
「……天之くん」
明香里も抱きしめ返すが、やはりとても薄い綿に触れているようだ。
「俺はいる、絶対だ。頼む、来てくれ、俺はお前に逢いたい。俺からお前に会いに行ってやることすら叶わないんだ」
言葉は聞こえるのに、姿をぼやけてきたのが判る。手のひらに触れているはずの天之御中主神の背中はいよいよ感触が無くなった。
「──嫌だよ、天之くん、行かないで」
酷な願いだと判っていても、望まずにはいられない。
「──すまぬ」
苦し気な声が明香里の心をえぐった。
やっと逢えた愛しい人は、とても遠くて触れる事も、目を合わせる事も出来ない人だったとは。
「天之くん……お願い……!」
「すまぬ」
聞こえた声は既に遠い、抱きしめていたはずの姿は何処にもなかった。それがなによりの証拠だろう。
「──本当に……神様なんだね……」
その時、風がふわりと明香里の頬を撫でた。何故だかそれが、天之御中主神だとわかった。
「うん──天之くん、そこにいるのね」
返事はない、風も吹かなかった。それでも天之御中主神が笑顔で頷いているような気がするのは錯覚だ。
「──明日、必ず行くね」
囁く様に言って、明香里は背を向けて歩き出した。
家に帰るのだと判った、それを送り届けてもやれない自分を、天之御中主神は不甲斐なく思う。
「──明香里」
もう抱き締める事はおろか、触れる事もできない愛しい人にできるのは、ただ見送ることだけだ。
「待っている……いつまでも」
声すら届かないとわかっていても。
*
帰宅して、まずはシャワーを終えた明香里は、短パンTシャツ姿でベッドに寝転んだ。そのまま髪をガシガシと拭き始める。
ふと、脳裏に天之御中主神の姿が浮かんだ。
(──神様かあ……)
改めて思ってしまう、とても不思議な出来ことだ。
(さっきは逢えて嬉しかったけど。どう考えてもこの先はなんの進展もない相手だな)
宇宙創造の時からいる神様など、自分とはまったく異なる時間軸で生きていることは間違いない。そもそも実体が無いのだ、逢うこともままならないうえ、運よくその姿を見ることができても、デートの度にふわりと消えられたら切ないことこの上ない。
(神様だから、私を助けてくれたんだ)
幼い日、手を引かれて歩いた記憶が甦る。幼いなりにも凛々しい横顔だった、それもそのはず、造化三神は何歳になるのだろう。
(そんな人、好きになったところで……神様なんか、皆平等くらいで誰でも好きになるんじゃ……)
でも、とは思う。
先程の様子からは、熱い気持ちが伝わって来た。逢いに来てくれと言う懇願するその姿は、誰でも彼でもはないはずだ、明香里だから、求めてくれたとわかる。
髪を拭く手を止め、天井を見つめる。
「あめの、みなか、ぬしのかみ、か……」
その神の名前を口にした。
「──少しだけ、夢を見よう」
落ちそうになる涙をタオルで拭った。
到底叶うはずのない恋、わかっていても簡単に諦められそうにはない、10年も思い続けた相手だ。ひと時でもそばにいたいと切に願った。
何処へ行くともなく、二人は並んで歩いた。
他愛もない話でも、何故だか楽しい気持ちになれた。
天之御中主神にしてみれば社を離れて出歩く自体が珍しいことでそれだけでもワクワクするのに、その相手が長く社越しにしか見る事の出来なかった明香里であるなどとは、まさに雲にも上る気持ちだった。
明香里の喜びもその比ではない。子供の頃から思ってきた相手と今並んで歩いているのだ、まさに夢のようだった。
もう少し望んでもいいだろうか、少しだけ触れてもいいだろうか──明香里はそっと天之御中主神の腕に指を掛ける。
それに天之御中主神も気が付いた、その指に自身の手を押し付けしっかりと握り、離れまいとする。
他愛もないのに、貴重な時間だった。
その楽しい時間が終わりを迎えようとしているのを、天之御中主神は体で感じた。わずか20分ほどのデートだった。ふと足を止める、明香里も気付いて止まった。
「天之くん?」
長身を見上げる、寂しげな笑みとぶつかった。
「もう、しまいのようだ」
一瞬言葉の意味が理解できなかったが、天之御中主神の悲し気な瞳に会話を思い出した。今はたまたま見えるだけなのだと。夏祭りの夜もそうだったように。
「明香里、待っている」
「ん……」
「俺もどうにか顕現できるよう、手段を考えておくから。これからも来てくれ」
「うん……」
哀し気な明香里がほおっておけず、うつむくその頬をそっと撫でる。明香里の目に涙が浮かぶのが見えた。
「泣くな。お前に泣かれると辛い」
明香里は鞄から小さなタオルを出して目を押さえ涙を吸い取る。
「明香里、俺は間違いなく見ているから……」
「私が来られるのは、あと半年だから」
明香里は意を決して打ち明けた、黙っていられることではない。
「──なに?」
「私ね、春には進学の為に引っ越しするの。東北の大学に入学が決まってしまって。よほどの事がない限りそっちに行くつもり。勿論親はこちらにいるから、時々は帰ってくるけど。春になったら、今までみたいに来れないの。もちろん引っ越しするまでは毎日来るけど」
泣き出しそうな明香里の目を見て、天之御中主神は言葉を失くす。ただそっと指で明香里の頬をなぞっていた。
(──行くななどとは言えん)
唇をかみしめた。
(引き留めたところで、俺は逢ってすらやれないのに)
明香里を抱きしめる、だがすでに感触があやしい、油断すれば突き抜けてしまいそうだ。
「──それまででもよい。お前さえ嫌でなければ来てくれ。俺はお前を見ている」
「……天之くん」
明香里も抱きしめ返すが、やはりとても薄い綿に触れているようだ。
「俺はいる、絶対だ。頼む、来てくれ、俺はお前に逢いたい。俺からお前に会いに行ってやることすら叶わないんだ」
言葉は聞こえるのに、姿をぼやけてきたのが判る。手のひらに触れているはずの天之御中主神の背中はいよいよ感触が無くなった。
「──嫌だよ、天之くん、行かないで」
酷な願いだと判っていても、望まずにはいられない。
「──すまぬ」
苦し気な声が明香里の心をえぐった。
やっと逢えた愛しい人は、とても遠くて触れる事も、目を合わせる事も出来ない人だったとは。
「天之くん……お願い……!」
「すまぬ」
聞こえた声は既に遠い、抱きしめていたはずの姿は何処にもなかった。それがなによりの証拠だろう。
「──本当に……神様なんだね……」
その時、風がふわりと明香里の頬を撫でた。何故だかそれが、天之御中主神だとわかった。
「うん──天之くん、そこにいるのね」
返事はない、風も吹かなかった。それでも天之御中主神が笑顔で頷いているような気がするのは錯覚だ。
「──明日、必ず行くね」
囁く様に言って、明香里は背を向けて歩き出した。
家に帰るのだと判った、それを送り届けてもやれない自分を、天之御中主神は不甲斐なく思う。
「──明香里」
もう抱き締める事はおろか、触れる事もできない愛しい人にできるのは、ただ見送ることだけだ。
「待っている……いつまでも」
声すら届かないとわかっていても。
*
帰宅して、まずはシャワーを終えた明香里は、短パンTシャツ姿でベッドに寝転んだ。そのまま髪をガシガシと拭き始める。
ふと、脳裏に天之御中主神の姿が浮かんだ。
(──神様かあ……)
改めて思ってしまう、とても不思議な出来ことだ。
(さっきは逢えて嬉しかったけど。どう考えてもこの先はなんの進展もない相手だな)
宇宙創造の時からいる神様など、自分とはまったく異なる時間軸で生きていることは間違いない。そもそも実体が無いのだ、逢うこともままならないうえ、運よくその姿を見ることができても、デートの度にふわりと消えられたら切ないことこの上ない。
(神様だから、私を助けてくれたんだ)
幼い日、手を引かれて歩いた記憶が甦る。幼いなりにも凛々しい横顔だった、それもそのはず、造化三神は何歳になるのだろう。
(そんな人、好きになったところで……神様なんか、皆平等くらいで誰でも好きになるんじゃ……)
でも、とは思う。
先程の様子からは、熱い気持ちが伝わって来た。逢いに来てくれと言う懇願するその姿は、誰でも彼でもはないはずだ、明香里だから、求めてくれたとわかる。
髪を拭く手を止め、天井を見つめる。
「あめの、みなか、ぬしのかみ、か……」
その神の名前を口にした。
「──少しだけ、夢を見よう」
落ちそうになる涙をタオルで拭った。
到底叶うはずのない恋、わかっていても簡単に諦められそうにはない、10年も思い続けた相手だ。ひと時でもそばにいたいと切に願った。