好きになったのが神様だった場合
#8【感じるぬくもり】
翌日、明香里は期待に胸を膨らませ、学校帰りに水天宮に寄った。いつものように鳥居をくぐり、賽銭箱の前に立つ。
社の戸が外の明るさを反射して中は見辛いが、背伸びしたり屈んだりして中を覗き見る。
祭壇の奥にある厨子、その中に安置された木製の像が天之御中主神の依代だが、明香里はそこまで知らない。
「──天之くん……?」
呼びかけてみたが、特に反応は無い。
(……いないのかな……)
そんな事はない。
天之御中主神は、戸の内側に貼り付いて明香里を見ていた。明香里の淋しげな顔を見て嘆息する。
「やはり無理か」
懸命に顕現しようと念じるが、それは叶わない。
「おい、狐」
呼びつけるが、白狐は物陰から伺い見るだけだ。
「頼む、明香里に逢いに」
「明香里殿に、ぎゅうっとされてよいとおっしゃるなら喜んで」
「お前な。本当にクビにするぞ」
「ええ、ええ、あなた様にお仕えできる神使はそうはおりますまい! わたくしめをなくしてはあなた様はいかにその御心を人々に伝えようと言うのです!?」
「別に困らんわ」
「今だって、明香里殿に逢えなくて、泣きそうですのに?」
「ならば体を貸せ」
「それがモノを頼む態度ですか!」
「もうよい」
天之御中主神は、ふわりと社を抜け出した。
「天之御中主神さま!」
白狐は叫び止めたが、天之御中主神は明香里の真ん前に立った、下半身は賽銭箱の中だ。しかし明香里は遠くを見ている、天之御中主神の気配にも気づいていない。
「──近くにいる、明香里」
声は届かない。
「明香里──」
明香里が淋しげな溜息を吐くのが辛かった。
「──明香里」
明香里が懸命に祈り手を合わせる姿に切なくなる。
「──ここにいる、明香里」
天之御中主神は手を伸ばした、こうべを垂れる明香里の頭を撫でるように動かす。もちろん感触などないがそれでも愛おしく思えた、滑らかな感触はまだ覚えている、それを懸命に思い出しながら撫でる仕草をする。
明香里は感じた、ふわりと髪に触れたものを。はたと顔を上げる、きっといると信じて見つめれば、すぐ目の前に天之御中主神が立っているような気がした。
「──天之くん……」
自然と微笑んでいた、明香里の笑顔を目の当たりにできて天之御中主神も嬉しくなる。
「明香里」
明香里は頷き鞄を胸に抱えて、賽銭箱の脇の木の階段に腰掛けた。天之御中主神もそのすぐ後ろに座り込み、明香里を抱きかかえる様にするが、明香里は勿論判らない。
「天之くん、今日もいい天気だね」
天之御中主神の存在を感じたわけではない、それでも明香里はいるのだと信じて言葉を発し、天之御中主神の存在を感じようと五感を研ぎ澄ませる。
「そうだな」
天之御中主神は答えたが、残念ながら明香里にはわからない、それでも会話は続けた。
「だいぶ涼しくもなってきたでしょ、だから授業が持久走で、疲れちゃった。あ、持久走ってわかる? 学校の周りを何周も走るんだよ」
「そうか」
「天之くんは学校までは来れないのかな、来てくれたら嬉しいなあ」
「明香里の学校までは無理だな」
「鎮守の森ってどれくらいまであったんだろ」
「そうだな、今度顕現できたら一緒に歩いてみるか」
「調べたらわかるかな、古地図とかで。このあたりのが残ってるかはわからないけど」
「明香里の学校の近くに川があったろう、あの辺りまでだぞ」
「そもそも、どこで買えるのかな? サイトとかあるかな」
微妙にかみ合わぬ会話に明香里は気づかない、そして天之御中主神はただ嬉しかった、自分と会話をしようとしてくれているのがわかるからだ。
そんなふたりの様子を見て、さすがに白狐は反省する。ふたりが立場の違いなど乗り越え、心の底から理解し合おうとしているのが理解できた。
会話くらいきちんとさせてやらねば。狐は身軽に歩き閉じられた社の戸の前に立つと、小さな前脚でそれを押し開け、木の回廊に忍び出た。
戸の開く音に明香里が気が付きそちらを見る、白狐がなんとも居心地が悪そうにそっぽを向いたまま、ちょこんと座っていた。
「あ、狐さん、あ、天之くんか!」
「いえ。天之御中主神さまは、今は明香里殿の後ろに座り、懸命に明香里殿のお尻を撫でております」
「撫でてなどおらぬ!」
天之御中主神はすぐさま怒鳴るが、もちろん明香里には聞こえない。真っ赤になって慌てて鞄でお尻をガードする。
「天之御中主神さま、どうぞわたくしめに憑依してくださいませ」
狐はそっぽを向いたまま言った、しかたなくだと言いたいらしい。天之御中主神は途端に破顔する。
「よいのか!」
「明香里殿のためならば、致し方ありませぬ。愛しい明香里殿がそのように淋しいお顔をされていては、自分にも何かできる事は……ひゃん!」
狐は口上の途中で妙な声を上げ、それから体を震わせた。鼻先から尻尾の先までブルブルをさせてから目を開ける。
目つきが変わった、先程までは真ん丸の可愛らしい瞳だったが、今は切れ長の凛々しい顔つきになっている。その目に、覚えがある、昨日ふわりと消えてしまった男と同じだ。
「──天之、くん……?」
「明香里」
声も先程までは甲高い声だったが、今は成人男性のそれになっている。間違いなく、今目の前にいるのは天之御中主神だとわかった。