好きになったのが神様だった場合
「……天之くん……!」

明香里が腕を伸ばす、狐は──否、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)はその腕に飛び込んだ。明香里はその小さな体を抱き締める。

「あ、明香里……苦し……!」
「あ、ごめん」

確かに力いっぱい抱き締めていた、慌てて体を離すと狐は膝の上から明香里を見つめた、明香里は微笑み返す。

「ふふ……姿形は違っても、やっぱり触れられる方が嬉しいね」

頭頂から背中を何度も撫でながらいう、ぬくもりが心地よかった。

「それは俺もだ」

言うと明香里の腕に前脚を掛け、長い鼻先を明香里の頬に近づけた。何をと明香里が思う間に、頬をぺろりと舐められた。

「くすぐったいよ」
「よいではないか」

鼻先は耳下からうなじに入り、髪を中をもぞもぞとし始める。なんとか体をすり寄せようとしているらしい。

「も……天之くん……」

くすぐったさはピークだった、だがそれ以上に──。

(え、待って、これってキス、みたい……!)

それに気付くと、明香里は狐の体を乱暴に引き剥がして、再び膝の上に置いた。大の字のように仰向けになって天之御中主神は文句を言う。

「こら、何をするっ」
「何をするは、こっちの台詞」

狐は明香里の手から逃れようとジタバタしていた、ふわふわの体がよじり、四肢が宙を蹴るさまがあまりに可愛かった、明香里は笑顔になる。

「ふふ……仕返しだ!」

ふわふわの毛皮に覆われた腹に顔を埋めて、ぐりぐりとこすり付ける。

「わあ! やめろ! くすぐったい!」
「ふふふ、私の気持ちが判った?」
「判った、判ったからあ」

明香里が少し顔を離した隙を天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は見逃さず、すぐさま明香里の顔に四肢を突っ張った。明香里はあたる肉球の感触が心地よくて、自然と笑顔になる。
四肢に押し伸ばされ、変顔になった明香里の顔が面白くて天之御中主神が笑い出すと、それにつられて明香里も声を出して笑う。そんな明香里がかわいくて天之御中主神の心は十分に満たされた。

その様子を、社務所から健斗が見つける。

「ああ、ほら、お父さん」

禰宜の泰道を呼んだ、呼ばれて泰道もその視線の先を見る。

「やはりいますよ、小動物が。きちんと駆除をしないと」

明香里と遊ぶ狐を確認する。

「ああ、本当だ。まいったな、床下か屋根裏か?」
「ありがちなのは屋根裏ですよね、でもあれは大きいから床下かな。ああして年のいった子が遊んでいる分にはいいですが、小さい子が怪我をしたり感染症にでもかかったりしたら、大問題ですよ?」
「そうだなあ、業者に頼むのが早いか」
「とりあえず、彼女に一声かけてきます」

社務所の玄関から外へ出た、その引き戸が開く音を聞いて、天之御中主神はさっと身を翻すと拝殿の蔭へ駆け込んでしまう。

「え、天之く……」

その姿を追って視線を向けた背後で、砂利を踏む音がした。人が来たのだとわかる。
こんなところで女がひとり座り込んでいるものおかしいだろう、明香里は慌てて鞄を持つと立ち上がった。賽銭箱の影から姿を見せると、神職の装束を着た健斗が近づくのが見えた。
神主一家の顔は知っている、明香里は一礼だけしそそくさと立ち去ろうと歩き出す。

「──あれ?」

健斗の声に明香里は立ち止まり、振り返った。

「ああ、いえ……」

明香里は会釈だけして歩み去った。その背を最後までは見送らず、健斗は辺りを見回す。
小動物がいた痕跡はなかった。





健斗は社殿の総点検をしていた。

一番最初に狙いを付けた拝殿の屋根裏は綺麗なものだった。勿論経年による埃は溜まっているが、蜘蛛の巣すらない。
やはりあのサイズならば床下だろうという予測は当たったと意気揚々と見て回ったが、そちらも同様で獣の毛の一本もなかった。二日かけてすみずみまでしっかり調べたが、生き物の気配はない。

「ふうむ。あと人気(ひとけ)がないと言えば、本殿か……」

神が鎮座する場所で、神職すら立ち入る機会の少ない場所だ。
父とふたりで見るが、やはり動物の痕跡はない。次に幣殿を確認する。
神社にもよってはない場合もあるが、ご神体が祀られている本殿と、参拝者が立ち入ってお祓いなどを受ける拝殿の間にある場所で、やはり神職しか立ち入ることが許されていない。
この神社で拝殿と棟続きで、厨子とその中に神を下ろすための依代がある。

「さすがにここにはいないだろう」

狭く、拝殿の棟続きなのだ。

「さて、業者を探すか」

泰道は面倒そうに言う。これだけ時間をかけて見てもいないのなら、いないのでは、と思っていた。

「ええ、まあ、いないならいないで、いいんですけど。あとは社務所ですよね」

一番いて欲しくはない場所を挙げられ、泰道は眉をひそめる。

厨子の奥を見ていた健斗は、なにかに気付いた。
依代を乗せた台座の裏に、なにかが固まって置かれている。

「──ん、これはなんです?」

手に取り驚いた。小さな、いかにも安物の簪と、レポート用紙だ。開き一読して、嘆息する。

「──お父さん、これはあなた宛の手紙ですか?」

ペラペラと示してやった。

「手紙?」

泰道は受け取り読んで、殊更不機嫌に眉を寄せる。

「なんだこりゃ。大体、宛名は『あめのくん』じゃないか」
「偽名では?」
「俺じゃない!」

泰道は怒ってそれを突き返した、健斗は受け取りながら依代を見る。そこにいるはずの神の名前は天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、だ。

「そんな事を言って、お前ではないのか。ここにはお前だって入るだろう?」
「だったらわざわざ見せませんよ、さらに奥に隠しますね」
「いやいや、家探(やさが)しが始まって隠しきれんと諦めて」
「だったら、わざわざ隠しません。俺に逢引きを楽しみにする恋人がいて困る事がありますか?」

軍配は健斗に上がった、泰道はぶつぶつ言いながら、白木でできた台の下を意味もなく探し始める。

健斗もいずれはこの水天宮を継ぐ身だ。別にいつかは結婚して跡継ぎが生まれてくれればいいが、できれば自分の目が黒いうちに安心させろと泰道は思う。
そんな思惑を健斗も知ってはいる、いい加減身を固めろと事あるごとに言われるが、なかなかいい出会いがないと言い訳し続けている。健斗は手紙を丁寧に畳みながら、拝殿の戸の外に目をやった。そこからでは見る事は出来ないが、明香里は今日も参拝に来ているだろうか。
健斗は手紙を手に拝殿の扉へ向かう。

「おい、健斗?」

父の声は無視して、拝殿の戸から窓の外を見た。今日はそこに明香里はいなかった。だが自分の直感を信じた、その少女がこの手紙の主だろうと。
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