好きになったのが神様だった場合
「そんなに強くはやっていません、それより明香里さんを見なさい」

いわれて自身を抱きしめる明香里を見た、不安そうな目と合い、事態を察する。
怒りに任せて力を使ってしまったことを。

「──すまぬ」

謝ると明香里は微笑み返す。

「ううん、助けてくれてありがと」

いって両腕を伸ばし、背伸びまでして天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)の首に腕を回す。

「ぎゅってして」

そこに天之御中主神がいると感じたかった。
天之御中主神すでに密着している体をさらに強く抱きしめた、明香里のうなじに鼻を埋めその香りを深呼吸する。

「今の男たちは?」

健斗は現実に引き戻そうと声をかける。

「はい、なんだか知らないですけど……たぶん、ナンパです」

明香里はため息交じりに答えた、男たちに触れられた場所がぞわぞわと虫でもはりついているように感じる。

「天之くん……」

ひんやりとするその体に、明香里は体をこすり付けた。

「なんとも節操のない連中ですね。魅力的な明香里さんを前に我慢ができないのはわかりますが、私の明香里さんに手を出すなど」
「誰がお前の明香里だ、明香里は俺のものだ!」

耳元の大声に、恥ずかしくも嬉しくなる。

「ともあれ、外にはいないほうがいいでしょう、中で作業をしてもらえますか?」

いわれて3人で社務所内の事務所に入る。

紙垂(しで)を作ってもらいましょう」
「しで?」
「これです」

棚から下ろした木箱には材料と出来上がった紙垂が入っている。

「あ、これ」

しめ縄や玉串の飾りに使われる、和紙を切って折って作った飾りだ。雷の形を模しているともいわれる。

「そう難しくはないのですが、教えますね」

丸椅子に腰かけるようにいうと、その隣に天之御中主神も座ろうとするのを見て、健斗が咎める。

「あなた様は掃除の続きをお願いします」
「そんなことをいって、明香里とふたりきりになろうというのだろう!」
「本当に心の狭い神様です、ずっとはいませんよ、神職はそう暇ではありません」

そういわれ、明香里にもごめんねと謝られて、天之御中主神はしぶしぶ外へ出た。
さっさと終わらせてしまえばいいだけだ。指を立て軽く振るうと小石は砂利の中へ戻り、落ち葉とお菓子の空き袋はちりとりに入る。不自然に濡れた参道が気になった、手のひらを上下に振れば地上から10センチほどの高さで雨が降り、参道全体を濡らす。

「これで文句はあるまい」

掃除道具を持ち倉庫へしまいに行く、そればかりは自身の手で行った。ゴミは倉庫脇のゴミ箱へ放り込む。
そしていそいそを社務所へ戻った、姿を見つけた健斗が眉をしかめる。

「ちゃんときれいにしたんですか?」
「ああ、もちろんだ! 確認してこい!」

そこまでしなくても、と健斗は思う。もとより常日頃からきれいを心がけているわけではない、いつもなら気が向いたときに掃除をする程度だ。

「──まあ、いいですけど。じゃあ、明香里さん、このお手本を見てもわからなくなったら、私か母を呼んでください。別にいっぱい作らなくていいので頑張らなくて大丈夫ですよ?」
「はい」

明香里の返事を聞いてから、健斗は社務所の奥へ消える。

明香里は奉書紙を広げる、やや厚手の半紙というところか。その前には紙垂の過程順に4つ置かれていた。切れ目だけのもの、一回折ったもの、二回折ったもの、三回目で完成したものである。

「俺も手伝おう」
「うん。えっとまずは、これを6枚に切るから……」

長手方向に半分、それをさらに三等分になるようカッターで裁断した。

「これを半分に折って……」
「俺もやろう」

それくらいならできそうだと、天之御中主神も折り始める。

「そうしたら、互い違いに切れ目を入れて」

それは見本があった、天之御中主神がふむふむと見ていると、明香里はカッターを取り損ね、その場でくるりと回転してしまう、慌てて手で止めた。

「あ……っ、やだ、いった……っ!」

声を上げ、右の人差し指を咥える。

「どうした!?」
「ん、ごめん、刃は出しっぱなしにしちゃ、ダメだね」

口から出した指先を見た、傷口は数ミリだ、そう深さはないはずだが、血はなおもあふれてくる。明香里は舌先でそれを拭った。

「ごめん、こんな手じゃ作れないや、天之くん、作ってくれる?」
「それは構わんが、お前のケガは」
「大したことないよ、とりあえずばんそうこうもらってく……」

立ち上がろうとした動作すら止まった、天之御中主神が明香里の手を取ると、何のためらいもなく口に含んだのだ。

「あ、天之、くん……っ」

冷たい口内だ、さらに冷たい舌が指先を妖しく舐め、吸い上げ、明香里の心臓はやたら主張し始める。

「だ、だめ、だよ……」

ため息交じりの拒絶は何とも弱い、指先が震えそうになるを懸命にこらえた。

「他人の血なんか、飲んじゃ……っ」

血は決してきれいなものではないと聞いたことがある、どんな感染症に侵されているか判らないのだ。

「なに、俺はそもそもヒトではない、心配するな」

天之御中主神は笑顔でいい、なおも溢れて来る血を舌先で拭った。
色っぽくも見えるしぐさに明香里は耐え切れず指が、いや手そのものが震えたが、天之御中主神は痛いのだろうかと思っただけだった。
震えたのは手だけではなかった、全身が興奮にぞくぞくしてくる。その得も言われぬ感覚に駄目だという感情はなくなっていた。ただじっと天之御中主神の顔をじっと見つめてしまう。

天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)もまた、明香里の指から離れられない気持ちになっていた。指先の血だけでない、手そのものに舌や唇を這わせていた。どうしようもない興奮が全身をむしばむ、体が熱くなり心臓の鼓動が早まり、頭がぼうっとしてくるのに任せて、一心不乱に明香里の指に食らいつき、血を吸っていた。

口内に溜まったそれをごくりと嚥下した時、

「──う」

突然呻き、天之御中主神は手を離した、明香里ははっと我に返る。

「天之くん、どうしたの?」

見る間に天之御中主神は青ざめ、脂汗をかいてくる。

「え……っ、だから血なんか飲んじゃダメって……! 健斗さん! お母さん!」

明香里は袴を翻して事務所を出ていった。





社務所の一階、事務所の奥には一家団欒ができる座敷がある。そこに天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は横たわり、羽毛布団をかけられうんうんと唸っていた。
周りには御園一家も集まり、天之御中主神の様子を見守っている。

「──これは」

そんな天之御中主神を見て白狐は絶句する。

「権禰宜さん! 早く救急車を……!」

天之御中主神を手を握りながら明香里は訴える、そんな明香里に健斗は溜息まじりに答えた。

「仮にも神様です、人の力で治せるものですか?」
「だって、私のせいで……!」

怪我をして血を拭ってくれたと訴えたが、みな半信半疑のようだ。
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