好きになったのが神様だった場合
明香里は顔が緩んでしまうのがわかる、力を失ったという意味を悟った。今まで会うこともままならなかった相手が人になったならば、なんの制約もなくなるということだ。

「……天之(あめの)くん……!」

腕を伸ばしその体を抱きしめた、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)も笑顔で抱きしめ返す。いつ消えるともわからなかったが、そんな心配もなくなったのだ、いつでも、いつまでも明香里のそばに喜びを噛みしめた。

その明香里の怪我をした指先が、じわりと熱を帯びる。

「ん?」

天之御中主神にしがみついたまま、その指を確認した、見る間に傷が治っていく。

「え……!?」
「安徳天皇さまです」

狐がいう、今は安徳天皇は天之御中主神の背後に立ち、明香里の手を小さな両手で包み込んでいるが、その姿が見えるのは白狐だけだ。

「そっか……安徳天皇さまが、天之くんも治してくれたんだ……」
「左様にございます」
「ほう、安徳、お前にはそんな力が。俺よりよっぽど神様らしいな」
「天之御中主神さまには遠く及ばないと申しております」
「天之御中主神さまは雨を降らせるくらいでしょう。雨より傷を治してくれたほうがありがたいですね」
「なんだと!」

健斗の減らず口を、天之御中主神が怒鳴って応じる。

「しかし、その力もなくなってしまうとは。神様が人間になるなどあるのですね。でも一体なぜ」

健斗は顎を撫でて考え込む。

「熱が原因? そんなものがきっかけで特殊能力を持つ事例を聞いたこともあります、まああなた様の場合は失ってますけど」
「血ではないかと」

うんうんと何なら頷きながら聞いていた狐が、健斗の言葉を受けて答えた。なおもうんうんとうなずくのは、安徳天皇の言葉を聞いているのだろう。

「明香里殿の気配が、意識が、命が、天之御中主神さまの指の先から髪の先まで感じられるそうです。取り入れたという血液がなんらかの作用をもたらしたのでは、と申しております」
「──そうか」

呟き明香里を抱きしめなおす、何気なく舐めたそれにそんな効果があるとは思わなかった。だがふと思い当たる、一番初めに顕現した時は、何があったのか。

「──涙だ」
「涙?」

明香里と健斗が繰り返した。

「明香里と初めて会った時、明香里は泣いていた。その涙を俺は舐めた──その時が初めての顕現だった」

母とはぐれたと泣いた明香里の指を舐めた、しょっぱさが口に広がったのを覚えている、その直後、全身に熱い血潮が流れたような感覚になったのも。

「その次に顕現できた時も、お前は泣いていた」

体を離すと天之御中主神は微笑み、指の背でそっと明香里の頬を撫でた。

「え、そうだったっけ……って、その後はそんなに泣いた覚えはないんだけど」

迷子だった時に泣いた事はよく覚えているが、その後はあったろうか。
なにより、「次に顕現できた」以後は、ずっと存在しているではないか。天之御中主神が霊体に戻ることがなくなったのは何故か、天之御中主神は明香里の涙をペットボトルにでも取って常に補充していたとでも言うのか。

「うーむ。確かに涙を舐めただけでは一刻ほどで戻っていたが……」

なにがあったかと腕を組み考え込む天之御中主神が、はっと顔を上げ何食わぬ顔で言葉を足した。

「そうだ、いつも口吸いをしていた!」
「くちすい?」

聞きなれる言葉に明香里はきょとんとする、狐がにやぁと嫌らしく笑うのが見えた、背後で健斗が吹き出すのも聞こえて、その文字がやっと合致した、その瞬間健斗に言われる。

「なるほど、会う度に濃厚なキスをしていたと。仲睦まじくていいですね」
「濃厚は余計です!」

明香里は真っ赤になって応える。

「まあともあれ、回数や量にもよるのでしょうが、あなたさまが明香里さんから体液をもらうことによって顕現されたのはまちがいないようですね。そして何より濃度が高いであろう血液を取り入れたことによって、あなたさまはヒトになられてしまったと言う事でしょうか」
「それは気づかなかった! もっと早く気づいていれば、明香里を10年も待たせなかったのに!」

天之御中主神は喜び、明香里を抱きしめる。

「よもや、そんな方法があろうとは!」
「それはやはり、おふたりの思う気持ちがあってのことではないかと、安徳天皇さまはおっしゃっております」

白狐の口上に天之御中主神は「そうか」と頷いた、そして白狐は「あ」と呟く。

「どうした?」
「あ、いえ、その、安徳天皇さまが明香里殿にキスを……いえ、顔中を舐めて、ああ、そんな、そんな、いけませぬ」

本当に恥ずかしそうに目をさまよわせ、伏せの状態になって顔を両の前肢で覆った。

「え、キ……っ」

明香里は慌てて口を手で覆うが、別になにか感触があったわけではない。

「こら、安徳! 機に乗じてなにをしておるか!」

天之御中主神も怒鳴るが、どこに怒鳴っていいかもわからない。

「ええ、ええ、そこまでしても、安徳天皇さまは顕現できませぬ。明香里殿が特別、天之御中主神さまが特別なのではなく、おふたりの思う気持ちが起こした奇跡なのでしょう」

そうか、と明香里は嬉しさに頬を染めたが、

「なにをどこまでしたというのか! 良いようにいって罪を逃れようとしても許さんぞ! 安徳、姿を見せろ!」

当てもなく怒鳴る天之御中主神の顔に、狐が飛んできて貼り付いた。

「狐! 邪魔立てするな!」
「わたくしめのせいではー、安徳天皇さまー、おやめくださいぃ!」

狐は身を反らせて抵抗する、そんな狐に両手をかけて剝がそうとするが剝がれないのは、
やはり特別な力で起こっていることなのか。

「安徳天皇さま」

明香里は優しく呼びかけ、両腕を広げた。なにかを感じるわけではない、それでもその腕を丸く縮こませる、そこに安徳天皇がいると見えるのは狐だけだ。
その狐は音でも立てそうな勢いで天之御中主神の顔からはがれる。

「天之くんを取ってしまってごめんね、寂しくなっちゃうね」

明香里は静かに謝った。

「──本宮より、新たなる天之御中主神さまをお迎えする手配をいたしましょう」

言葉を添えたのは白狐だ。

「そんなこと、できるんだ……」

分祀だ。沢山の天之御中主神がいると思うとなんだか複雑な気分にもなるが、目の前の天之御中主神はたったひとりだと思いなおす。

「──天之くんと、ずっといていいんだよね?」

声に出して確認すると、天之御中主神は破顔した。

「ああ、俺はずっと明香里と共にいる」

力強い声に明香里も笑顔で返す。
< 39 / 44 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop