好きになったのが神様だった場合
「え、なにがいいんでしょう? なんかめでたい感じがいいですよね、神様だもん」
「何もしない神様ですが」
「権禰宜! ひとこと多い!」
「あ、でも私は天之くんのままでいいと思うよ、漫才師みたいでも」
「明香里! 笑いながらいうな!」
「だって。今更呼び方も変えられないし」
「そうなんですよね」
「祥吾では」
成恭が嬉しそうにいう。
「しょうご?」
皆の声が重なった、成恭はうんうんとうなずきながら答える。
「吉祥の祥に、我を意味する吾、うん、なかなかよい。健斗も俺がつけたんだ、いいセンスだろう?」
自慢げにいわれては、そうですね、と答えるしかない。
「祥吾かあ」
明香里が繰り返す。
「なに、戸籍上のことです。普段はいつもどおり、天之くんとお呼びすればよい」
成恭にいわれ、明香里はうなずく。
「それと、明香里さんは仙台に行かれるんですよね」
健斗にいわれて明香里は再度うなずいた。
「そちらにも水天宮があるので、しばらくはそちらで修行という名の元置かせてもらうようお願いしましたから」
「──え……」
驚きが笑顔になってしまう。
「私たちより明香里さんのほうがはるかに天之御中主神さまの操縦が上手です、明香里さんの目の届くところにいたほうがおとなしくしていると思うので」
「俺は狂犬か!」
「似たようなものです」
天之御中主神と健斗の言い合いに、明香里はにやける顔を抑えきれない。
「うふ……なんだかんだいって、健斗さんも優しいんですから」
明香里にいわれて健斗はつん、と顔を背ける。
「私が言い出したことではありません。狂犬というより赤子です、こんな大きな赤子の世話は大変なので、明香里さんに任せたいのです」
それを紹子は明香里の腕を突いて呼び、手を左右に振って見せた、やはり健斗の提案なのだ。
「ありがとうございます、これで心置きなく仙台に行けます」
深々と頭を下げる明香里に、健斗が問いかけた。
「でもなぜわざわざ仙台の大学へ? こちらにもいい大学はいくらでもあったでしょう。大好きな天之御中主神さまと別れてまで選んだ理由は?」
いわれて明香里は微笑む。
「だって、そもそも天之くんとこうして会えるとは思っていなかったし」
ひと目逢いたい、そればかりを思っていた、その先は考えていなかったようだ。
「私、英語の勉強をしたかったんです、留学しようかとも思ったんですけど、それはちょっと勇気が出なくて……天之くんから離れる勇気が」
「明香里~」
天之御中主神が背後から抱きしめる。
「外語大でもいいかなって思ったんですけど、そうしたら進路担当がこんな大学もあるって紹介してくれて」
講義のほとんどが英語で行われる大学があったのだ。
「推薦も出せるって言ってくれたので、そちらに決めたんです」
「しかし、泣いていたではないか、ここを離れなくてはならないと。なぜそうまでして遠い学校を選んだ?」
「ここが頑張り時だと思ったからだよ」
抱きしめる天之御中主神の腕を撫でて明香里は答える。
「一生が決まると思ったから学生時代は妥協しないって決めて、そのためになにかを犠牲にしてでも頑張ろうって思ったの。だから少しの間だけ思い出は胸の奥深くにしまって、勉強に専念しようって」
そのための転出でもあったのに。
「──まさか、天之くんが来てくれるなんて思わなかった……夢じゃないよね?」
「もちろんだ」
天之御中主神は明香里の髪に顔をこすりつけいう。
「もう離れぬからな」
力強い声に明香里は小さくうなずいた。
☆
わいわいと話す声が近づいてくる、社務所を拝殿を繋ぐ廊下がきしむ音もして、白狐は御簾から顔を出した。まもなく扉が開いて神職の装束を着た天之御中主神と明香里が姿を見せる、ふたりの笑顔に狐も微笑んだ。
「狐、おるか」
不遜に呼ばれ、狐は御簾から身を躍らせる。
「掃除をする、手伝え」
手に持ったほうきを突き出す、狐はそっぽを向いた。
「天之御中主神さまはもうわたくしめの主ではございません、そのようなご指示には従えません」
「なんだとぉ?」
「新しい主はおります」
いって厨子を見上げた、明香里も視線を向けるが、当然その姿を見ることはできない。
「そうか、もう来たのか。皆を頼む」
天之御中主神がいう。皆とは安徳天皇、白狐をはじめ、美園一家やここへ参拝に来る者たちまでもだ。
「任せておけ、と」
狐が仲介した、天之御中主神はうむ、と頷いて明香里ともども拝殿の掃除に取り掛かる。
明香里は雑巾でガラスを拭き始めた、天之御中主神はほうきを手に床の掃除を始めようとしたがふと顔を上げる。
「──ほう。貴様も明香里が気になるのか。明香里はどれだけ魅力があるのか──いや、魔力かもしれんな」
とても低く、小さな声でいった。
「──だが、新しい天之御中主神よ、あれは俺のだ、手出しは許さん」
狐が大きく目を開く、人になり神が見えなくなったのではないのかと──天之御中主神は何もないはずのその空間をにらみ、不遜に微笑む。
「──元の俺がそうであったように、貴様のような不安定な存在を消すなどたやすい、依代がなくなればどうなるか」
叩き壊してやろうとか思った天之御中主神の心がわかったのだろうか。屋内だというのに一陣の風が吹いた、拝殿の中ほどから厨子に向かって──それは明香里の後ろ髪をかすかに揺らした。
「ん? 窓が開いてる? 寒いよね、閉めよう」
見回すが、空いている窓はなかった。天之御中主神が微笑む。
「すまん、すまん。俺が乱暴にほうきを振るったのだ。狐が邪魔をするのでな」
「そっか」
明香里は疑うことなく納得し、作業を再開した。濡れ衣に狐はただ物陰に潜んで身を隠し、僅かに震える体を懸命に抑えていた。
(安徳天皇さまのお姿を見れなくなったのでは……でも今は確かに天之御中主神のお姿をその目に捉えておられた……!)
宙に浮かぶ天之御中主神を恫喝したのは間違いなかった、狐には見ることができた。しかもそれを明香里には明かさない、隠しておこうというのだろう。単に恋心の問題かもしれないが──突然得体のしれない存在に感じられて恐怖に思う。するすると這い、本殿に逃げ込んでいた。
「明香里」
背後から呼ばれて明香里は顔だけそちらに向ける、天之御中主神はすでにすぐそばにいた。
「ん?」
見上げて返事をする明香里が特別かわいらしく見えた。
手を伸ばし頭を撫で、髪を梳き後頭部で固定する、その意味を明香里だってわかる。
「だ、だめだよ、こんなとこで」
慌てて天之御中主神の胸に手を突き離れようとするが、
「誰も見ておらんし、こうすれば外からは見えん」
白衣の腕を持ち上げた、長い袂がふたりの頭部を外から隠す。
「早くしないと、また神に戻ってしまうぞ」
天之御中主神が脅す。
「え、ほんと!?」
それは困ると、明香里は天之御中主神の白衣を軽くつかみほんの少し背伸びした、天之御中主神は身をかがめ明香里に近づく。
唇が重なる、すぐに離れると思っていたのに、天之御中主神は深く求めてきた。
(……でも、もし神様に戻っても、また血をあげたら人間になれるんだよね……)
それには期待が膨らむ、もう逢えないと悩み苦しむ必要がなくなったのだ。具合が悪い天之御中主神を見るのは辛いが、体質が変わるためには必要なのかもしれない。
静かな室内に水音は響く、思いのほか深く長いキスに、明香里は戸惑う。
(狐さん、いる……)
視線だけで探した、先ほど姿を見た物陰にはいないようだ。
(神様が、見てる……)
今どこにいるかも見当がつかない、それでもここにいるはずの2柱の神様からはこちらは丸見えのはずだ。今いる天之御中主神はどんな姿をしているのだろう、今キスをする天之御中主神と同じ姿なのだろうか──そう思うと不謹慎にも興奮した。明香里から天之御中主神の首に腕を回し、深呼吸をしていた。
「何もしない神様ですが」
「権禰宜! ひとこと多い!」
「あ、でも私は天之くんのままでいいと思うよ、漫才師みたいでも」
「明香里! 笑いながらいうな!」
「だって。今更呼び方も変えられないし」
「そうなんですよね」
「祥吾では」
成恭が嬉しそうにいう。
「しょうご?」
皆の声が重なった、成恭はうんうんとうなずきながら答える。
「吉祥の祥に、我を意味する吾、うん、なかなかよい。健斗も俺がつけたんだ、いいセンスだろう?」
自慢げにいわれては、そうですね、と答えるしかない。
「祥吾かあ」
明香里が繰り返す。
「なに、戸籍上のことです。普段はいつもどおり、天之くんとお呼びすればよい」
成恭にいわれ、明香里はうなずく。
「それと、明香里さんは仙台に行かれるんですよね」
健斗にいわれて明香里は再度うなずいた。
「そちらにも水天宮があるので、しばらくはそちらで修行という名の元置かせてもらうようお願いしましたから」
「──え……」
驚きが笑顔になってしまう。
「私たちより明香里さんのほうがはるかに天之御中主神さまの操縦が上手です、明香里さんの目の届くところにいたほうがおとなしくしていると思うので」
「俺は狂犬か!」
「似たようなものです」
天之御中主神と健斗の言い合いに、明香里はにやける顔を抑えきれない。
「うふ……なんだかんだいって、健斗さんも優しいんですから」
明香里にいわれて健斗はつん、と顔を背ける。
「私が言い出したことではありません。狂犬というより赤子です、こんな大きな赤子の世話は大変なので、明香里さんに任せたいのです」
それを紹子は明香里の腕を突いて呼び、手を左右に振って見せた、やはり健斗の提案なのだ。
「ありがとうございます、これで心置きなく仙台に行けます」
深々と頭を下げる明香里に、健斗が問いかけた。
「でもなぜわざわざ仙台の大学へ? こちらにもいい大学はいくらでもあったでしょう。大好きな天之御中主神さまと別れてまで選んだ理由は?」
いわれて明香里は微笑む。
「だって、そもそも天之くんとこうして会えるとは思っていなかったし」
ひと目逢いたい、そればかりを思っていた、その先は考えていなかったようだ。
「私、英語の勉強をしたかったんです、留学しようかとも思ったんですけど、それはちょっと勇気が出なくて……天之くんから離れる勇気が」
「明香里~」
天之御中主神が背後から抱きしめる。
「外語大でもいいかなって思ったんですけど、そうしたら進路担当がこんな大学もあるって紹介してくれて」
講義のほとんどが英語で行われる大学があったのだ。
「推薦も出せるって言ってくれたので、そちらに決めたんです」
「しかし、泣いていたではないか、ここを離れなくてはならないと。なぜそうまでして遠い学校を選んだ?」
「ここが頑張り時だと思ったからだよ」
抱きしめる天之御中主神の腕を撫でて明香里は答える。
「一生が決まると思ったから学生時代は妥協しないって決めて、そのためになにかを犠牲にしてでも頑張ろうって思ったの。だから少しの間だけ思い出は胸の奥深くにしまって、勉強に専念しようって」
そのための転出でもあったのに。
「──まさか、天之くんが来てくれるなんて思わなかった……夢じゃないよね?」
「もちろんだ」
天之御中主神は明香里の髪に顔をこすりつけいう。
「もう離れぬからな」
力強い声に明香里は小さくうなずいた。
☆
わいわいと話す声が近づいてくる、社務所を拝殿を繋ぐ廊下がきしむ音もして、白狐は御簾から顔を出した。まもなく扉が開いて神職の装束を着た天之御中主神と明香里が姿を見せる、ふたりの笑顔に狐も微笑んだ。
「狐、おるか」
不遜に呼ばれ、狐は御簾から身を躍らせる。
「掃除をする、手伝え」
手に持ったほうきを突き出す、狐はそっぽを向いた。
「天之御中主神さまはもうわたくしめの主ではございません、そのようなご指示には従えません」
「なんだとぉ?」
「新しい主はおります」
いって厨子を見上げた、明香里も視線を向けるが、当然その姿を見ることはできない。
「そうか、もう来たのか。皆を頼む」
天之御中主神がいう。皆とは安徳天皇、白狐をはじめ、美園一家やここへ参拝に来る者たちまでもだ。
「任せておけ、と」
狐が仲介した、天之御中主神はうむ、と頷いて明香里ともども拝殿の掃除に取り掛かる。
明香里は雑巾でガラスを拭き始めた、天之御中主神はほうきを手に床の掃除を始めようとしたがふと顔を上げる。
「──ほう。貴様も明香里が気になるのか。明香里はどれだけ魅力があるのか──いや、魔力かもしれんな」
とても低く、小さな声でいった。
「──だが、新しい天之御中主神よ、あれは俺のだ、手出しは許さん」
狐が大きく目を開く、人になり神が見えなくなったのではないのかと──天之御中主神は何もないはずのその空間をにらみ、不遜に微笑む。
「──元の俺がそうであったように、貴様のような不安定な存在を消すなどたやすい、依代がなくなればどうなるか」
叩き壊してやろうとか思った天之御中主神の心がわかったのだろうか。屋内だというのに一陣の風が吹いた、拝殿の中ほどから厨子に向かって──それは明香里の後ろ髪をかすかに揺らした。
「ん? 窓が開いてる? 寒いよね、閉めよう」
見回すが、空いている窓はなかった。天之御中主神が微笑む。
「すまん、すまん。俺が乱暴にほうきを振るったのだ。狐が邪魔をするのでな」
「そっか」
明香里は疑うことなく納得し、作業を再開した。濡れ衣に狐はただ物陰に潜んで身を隠し、僅かに震える体を懸命に抑えていた。
(安徳天皇さまのお姿を見れなくなったのでは……でも今は確かに天之御中主神のお姿をその目に捉えておられた……!)
宙に浮かぶ天之御中主神を恫喝したのは間違いなかった、狐には見ることができた。しかもそれを明香里には明かさない、隠しておこうというのだろう。単に恋心の問題かもしれないが──突然得体のしれない存在に感じられて恐怖に思う。するすると這い、本殿に逃げ込んでいた。
「明香里」
背後から呼ばれて明香里は顔だけそちらに向ける、天之御中主神はすでにすぐそばにいた。
「ん?」
見上げて返事をする明香里が特別かわいらしく見えた。
手を伸ばし頭を撫で、髪を梳き後頭部で固定する、その意味を明香里だってわかる。
「だ、だめだよ、こんなとこで」
慌てて天之御中主神の胸に手を突き離れようとするが、
「誰も見ておらんし、こうすれば外からは見えん」
白衣の腕を持ち上げた、長い袂がふたりの頭部を外から隠す。
「早くしないと、また神に戻ってしまうぞ」
天之御中主神が脅す。
「え、ほんと!?」
それは困ると、明香里は天之御中主神の白衣を軽くつかみほんの少し背伸びした、天之御中主神は身をかがめ明香里に近づく。
唇が重なる、すぐに離れると思っていたのに、天之御中主神は深く求めてきた。
(……でも、もし神様に戻っても、また血をあげたら人間になれるんだよね……)
それには期待が膨らむ、もう逢えないと悩み苦しむ必要がなくなったのだ。具合が悪い天之御中主神を見るのは辛いが、体質が変わるためには必要なのかもしれない。
静かな室内に水音は響く、思いのほか深く長いキスに、明香里は戸惑う。
(狐さん、いる……)
視線だけで探した、先ほど姿を見た物陰にはいないようだ。
(神様が、見てる……)
今どこにいるかも見当がつかない、それでもここにいるはずの2柱の神様からはこちらは丸見えのはずだ。今いる天之御中主神はどんな姿をしているのだろう、今キスをする天之御中主神と同じ姿なのだろうか──そう思うと不謹慎にも興奮した。明香里から天之御中主神の首に腕を回し、深呼吸をしていた。