好きになったのが神様だった場合
#3【例大祭、再び】


やがて境内の金木犀がいい香りをさせはじめ本格的な秋が来て、寒い冬が到来し、春が来て明香里は、小学三年生になった。
それでも明香里は折を見て水天宮へ参る。その様子は既に友人たちの間では知るところとなって、その参拝に付き合ってくれる者でいる。
和気藹々と詣でてくれる明香里たちを、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は微笑んで見ていた。

そして今年もやってきた例大祭で。

明香里は新調してもらった浴衣に袖を通した、母・美幸をまねた百合の柄の浴衣だ。母は全体的に百合が咲き誇るが、明香里のものは袖や裾の下の方だけに咲いている。地の水色が涼し気だった。
去年より少し伸びた髪を美幸が結い上げようと準備を始める。

「あら? 去年使った(かんざし)はどうしたかしら?」

鏡台の引き出しにしまってあったと思い込んでいたが、自身の彼岸花の簪しかなかった。

「ごめんなさい、去年、落としちゃって……」

迷子になった挙句、簪まで落としたとは言えなかった。

「まあそうなの? 挿してただけだものね、仕方ないわよ。でももっと早く言ってくれたら、新しいのを買ったのに」

それそのものは、何かのついでに百円ショップで買ったものだ、自分で管理ができる様になったら、きちんと良いものを買ってやろうとは思っていた。

「んじゃあ他ので……簪は無いけど、バレッタで飾ろうか? これなら落ちないし」

母が自分の物を出して髪に留めてくれた、和紙を樹脂で閉じ込めたものだった。

身支度を整え終わると家を出て、水天宮へ向かう。
去年はただただワクワクしていただけだった。普段着ない浴衣とお祭りの雰囲気が高揚させるからだ。
でも、今年はそれとは違う妙な興奮があった。

(あの子に逢えるかな……)

淡い期待と、熱い願望を胸に歩みを進める。
まずは水天宮を参拝する、学校帰りなどとは違い、賑やかな境内でたくさんの人がいたが、少年の姿はなかった。

(神様、お願いです)

祈る姿を、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は見ている。

「一年か」

そんなに時間が経ったのだと、改めて思った。

ヒトの子は成長が早い。一年間、ほぼ毎日見てきたが、今日はとびきり明香里がお姉さんらしくなったと感じた。浴衣が朝顔から百合になったものあるだろうか。
母子で合わせていた手を解き、社に背を向ける、明香里が美幸を見上げて手を繋ぐ様を見て、天之御中主神は微笑んでいた。

「──今宵は、その手を離すでないぞ」

もしはぐれたならば、すぐにまたここまで来るがいい、いくらでも助けてやると心の中で念じた。そして明香里の髪に気付く、鮮やかな長方形の髪飾りが色を添えていた。

「──そうか、これはもう用済みか……」

風鈴の模した簪《かんざし》は、厨子の奥深くに隠してあった。

「ならばお前との思い出に、もらっておくかな」

簪は風もないのにかたりと揺れた。


***


例大祭が終わって数日、明香里が来た、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は零れ落ちんばかりに気持ちを乗り出してその姿を見る。
今日も明香里は手を合わせて何かを祈った。

「娘、祭りの晩は、迷子にはならなかったか?」

厨子から聞くが、当然声など届かない。

「まあ、こうして参ってくるくらいだ、何事もなかったのだろう……つうか、そもそもひとりで行き来できるのに、何故あの晩はああも泣いていたのだ? 母など置いて帰ればよかろうに。ああ、母が心配であったか、そうかなるほど、それは納得だ。優しい娘だな」

勝手に呟く天之御中主神を、狐は怪訝そうに見上げる。

「──もし、お前が本気で俺を欲すれば、よもやと思ったが……」

本気で助けを必要としている者の願いを聞き届けようとすれば顕現できるかとも思ったが、そもそもそれを明香里が危機を感じていなかったのならば仕方ない。

だが、しかし。

(──会いたい)

切なる思いが高まっていく。

(お前の瞳に触れたい、お前の温かな手を握り、再度人混みの中を歩きたい)

どうすれば明香里のそばに行けるか考えた、その方法のひとつを思いつく。

「──のう、狐?」

声を掛けた時には、狐は既にそろりそろりとその場を離れようとしていた、天之御中主神の思惑を察知したのだろう。

「まあ待て」

狐の首根っこを乱暴に捉えた、すると天之御中主神の姿は溶ける様に狐に吸い込まれる。
狐の姿を借りた天之御中主神はすっくと立ち上がる、社の戸に鍵は無い、前脚で軽く押せばそれは開いた。隙間から外に身を躍らせる。
木板の回廊の先の木製の階段を降りる、懐かしい感触だった。賽銭箱を脇を通り、二段の石段も降りると明香里のつま先に鼻を摺り寄せる。

明香里ははまだ手を合わてせいたが、その存在に気付いた。途端に目を見開く。

「君、去年の……」

思わず呟いて、しゃがみ込み狐を撫でた。
記憶にある生き物だった、昨年の例大祭で会ったと記憶が合致する。犬に似ているが犬ではない、しかし都会にいるはずが無い生物だ。
懐かしい感触に笑みが零れる、あの時の母を見失った時の淋しさが薄らぐのと同じ感覚を味わっていた。
天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)もまた、明香里に撫でられ幸福を感じる。久々に感じる温かい手を目を細めて味わう。

「おいで」

明香里は狐を抱き上げ、石段に腰掛けると狐を膝に乗せる。

「……かわい……」

人に慣れているのだと思った、狐は大人しく明香里の膝に乗り好きに撫でさせてくれる。それが可愛くて隅々まで撫でまわしていた。
喉や耳の生え際に指先を入れ撫でると狐は嬉しそうに目を閉じた、長い鼻づらすら爪で掻いても嫌がらない。腹の下に手を入れて抱き締めるように撫でるが、狐は好きにさせてくれた。

対して狐──天之御中主神は。ようやく明香里の手を温かさを直接感じられて喜びに満たされていた。腹を撫でられるとくすぐったく、なんだか恥ずかしいが嫌だとは思えず、鼻面を包むように撫でられた時には、思わず指を甘噛みしていた。
もっと近くに、ずっとそばに、そんな気持ちに急かされ、甘える様に脚を明香里の腕に絡ませていた。笑顔の明香里が愛おしく堪らなかった。

その明香里がふと何かを思い出したように辺りを見回した、手が止まったので天之御中主神も動きを止めて明香里を見上げる。

不意に明香里の顔が曇った。

「……あなたに会えたら、あの子にも会えると思ったのに……」

去年の例大祭もそうだった、白い狐が現れて間もなく、少年が現れたと覚えている。だがずいぶん時間が過ぎたように思うが、少年はやってきそうにない。
勝手に先触れだと思い込んでいただけなのだ、だがもしかしたらと言う気持ちが裏切られ、かなり気分が落ち込んでしまう。

「あなたは、あの子とは関係ないの?」

聞いてみたところで狐が応えるとは思っていないが、口に出ていた。天之御中主神は瞬間体を起こす。

(──あの子とは?)

天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は聞きたかった、だが狐の姿では喋ってはいけないと判っている。ただでさえ野生の狐などこの辺りにはいないのだ、おかしな動作をすればたちどころに騒ぎになるだろう。
それでも更に心を知ろうとじっと明香里の目を見つめた、だが明香里は僅かに目を潤ませるだけでそれ以上は語らなかった。
最後に額から尻尾までひと撫でして、明香里は狐を脇に除けると立ち上がる。

「またね」

なんとか笑顔を取り繕ったが、笑顔にはなり切らなかった。きちんとお座りの姿勢で待つ狐に背を向けて歩き出すが、やはりあの少年がいてくれないかは気になった、振り返り、キョロキョロしながら歩いて行く。
そんな背中を天之御中主神は見送る、淋しげな笑顔の「またね」が天之御中主神の心を嵐のように波風を立てる。

(誰かを待っていたのか)

ふわりと風に乗って、明香里の残り香が鼻腔をくすぐる。

(狐に会えたら会えるかも、とは俺の事、か……!?)

昨年もそうだった、狐の体を借りてそばに行った、その後なぜだか顕現したのだ。それを明香里も覚えているのだ。

「お前は、俺に会いに──」

体が震えた、すると勝手に意識が分離する。足元に白狐の姿があった、狐は慌てて四肢で立ち上がり頭から尻尾まで震わせると一目散に社に入る。その後を追って天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)もふわりと戻り、手をかざすと戸は風で押されたように、静かに締まった。

「なあ……狐」

呟くように聞いていた。

「ああ、もう、冗談じゃないですよ! ヒトの体を使うのやめてもらえませんか!?」
「──そもそもヒトではない」
「そういう意味じゃないんですよ!!!」

今日も狐はガミガミと文句を並べたてる、天之御中主神は厨子の中の像の奥に隠した簪を見つめた。

「……娘よ……お前の願いを叶えて……」

唇を噛んで言葉を飲み込んだ。
神だというのに、明香里の望みどころか、自分のことすらままならぬとは。
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