僕は夢を見る。そして、君は現実を唄う
第一章
 第一話 出逢い、それでも不変を選ぶ。

 僕は生徒会室の前で中に入るか帰るか迷っていた。米村先生が昼休みに「話がある

から放課後生徒会室に来てほしい」と言ってきた。理由はわからない。ただ、一般生

徒が生徒会室に入ることは滅多にないから、緊張していた。正直、このまま帰っても

いいのだけれど、頼んできた米村先生は担任で、明日どう抗っても「何で来なかった

の?」と問い倒される。その方が面倒臭いことになる気がして、僕は生徒会室のドア

を開けた。

「君だったの」

 中にはいかにもな生徒会長の机に軽く腰をかける白砂がいた。生徒会室内はソファ、

食器棚、ファイルが陳列する本棚、それとゆとりのある空間が広がっていた。

 生徒会室には彼女一人で、世界から生物がいなくなったかのような静けさがあっ

た。

「あれ、先生は?」

「いないよ」

「……後で来るのか」

 僕は白砂とは一切目を合わせずに俯いて、独り言を呟いた。

「そういうこと。でも、いつ来るかわからないし、私が先に説明しちゃうね」

 白砂は一歩、二歩とこっちに歩いてきた。

「ん? ああ」

 彼女は足を止めず、僕に近づいてくる。前を見ていなかったけど、足音でわかった。

すると、俯いている僕の視界に足が見えた。その距離は三十センチを優に切っている

気がする。たまらず顔を上げた。彼女の吐息が僕の頬を伝う。いい匂いがした。柔軟

剤、シャンプー、ボディソープか、その匂いに惑わされて、状況が飲み込めなくて、

僕はやめろとも言えず、一歩すら引くことができなかった。きめ細やかで、雪のように

白い肌。少し色素の薄い黒目。奥が見えそうな透明感に僕は唾を飲んだ。

「……ふーん。やるね」

 彼女は何故か不満を含んだ声を漏らし、次は一歩、二歩と後ろに下がった。

「君、副会長ね。拒否権はないってさ」

 彼女は演説の時と同じ眼でそう言った。言葉の意味的に彼女が決めたわけではない

というのは察した。それでも彼女の真っ直ぐな視線に嫌気が差してか、はたまた勝手

に重すぎる大役を押し付けてきたからか。ムカついて、口を滑らせてしまった。

「USだろ?」

「え?」

 僕は女子高生シンガーの名前を白砂に向かって放った。僕が腹癒せのように出した

言葉に彼女は平然を取り繕うとしていたが、明らかな動揺を顔から漏らしていた。

 顔を出さない女子高生シンガーUS。耳に優しく触れるその声は日本の音楽界を震

撼させた、とテレビで聞いた。

「昨日拾ったペンダント。YouTubeの生配信で貰い物って、いつかのUSが言って

た。それを君が持ってるって変だろ。それにそんなに錆が付いているペンダントを持

ち続けている人なんて中々いないしな」

「えっとそれは……」

 急に弱気になる白砂に罪悪感を感じ、それ以上は言わなかった。同時に彼女がUS

であることを認めたんだと感じた。気まずい空気が流れて、自分の佇まいが落ち着か

なくなってきた。

「⋯⋯ソファ、座ってていいよ」

「うん」

 僕は手前にあるソファに腰掛けた。彼女の一言で若干緊張が揺るいだ。僕はこの空

間から逃げるようにして、バッグの中に入っていた小説を取り出した。

 それから少し気まずい空気を吸いながら、出された紅茶を一口含んだ。白砂は会長

机に腰をかけ、バッグからタブレットを取り出した。会長机はドンと構えていて、ま

だ慣れないからか、椅子にも座らされている感が否めなかった。

 それからというもの、無言の時が流れた。いつしか変な気まずさはなくなってい

て、僕は小説に夢中になっていた。



 三十分程が経ったころ、前触れもなしに激しくドアが開けられた。

「よ!」

 ドアを見ると、そこにはこの状況の根源であり、巨悪である米村先生がいた。米村

先生は僕のつまらなさそうな顔を見て、「何かあったのか?」と他人事のように言っ

てきた。

 体のラインがくっきり見える米村先生のスーツ姿は、自分の体型に自身のある人し

か着れないもので、さらに顔もいい。セミロングの髪をいつも下ろしている。独特の

天才臭のような雰囲気を漂わせていて、勝手に思っているだけだけれど、学年に一人

はいる何でもできるタイプの人間だと、勝手に解釈している。だからこの人も僕とは

あまり関わり合うことのない人間だ。清潔感があって男子からは人気が高いと、石川

から聞いていた。

「僕、生徒会なんて入らないですから」

 来てくれたのなら好都合だ。直接断れば、後で文句を言われることもない。それだ

け言って帰ろうとすると、米村先生はソファから立ち上がった僕の目の前に一枚の紙

を出してみせた。そこには生徒会役員確定書と書いてあり、生徒会長の欄には白砂 

唄の名前があった。生徒会副会長の欄には齋藤 新と書いてある。最下部には校長か

らの直筆のサイン。すごい達筆でザ・校長のようなサインだ。公印もしっかり押され

ている。

「⋯⋯有り得ないです」

 詰みだ。ここまでされてやりませんなんて言っても、何かとゴリ押しされそうな気

がした。僕はソファに戻り、生温くなった紅茶をもう一度喉に通した。聞きたいこと

は山ほどあった。書記や会計の欄はそれぞれ二名の記名欄があるのに空白のこと、呼

び出しておいて最後に来た先生の遅刻した理由、それと不機嫌そうに顔を崩す白砂。

だが、一番聞きたいことはそんなことではない。

「何で僕なんですか?」

 僕のため息混じりの陰鬱な声に米村先生も謎のため息で返してきて、目の前にある

もう一つのソファに座った。

「私にも紅茶を頼む」

「わ、わかりました」

 白砂は先生の分の紅茶を淹れると、そのまま先生の隣に腰をかけた。そして真っ直

ぐ、僕を見てきた。

「本来なら唄の一人でいいところなんだが、校則上そういうわけにもいかなくてな」

 生徒会を回す人が白砂一人でいいということなのだろうけど、そんなに仕事内容が

楽なのだろうか。

「新は今の学校は楽しいか?」

 唐突かつ、答えづらい質問に少し肩が上がった。

「まあ、それなりには」

 目線を横に逸らして、失礼極まりないその質問に答えを濁した。こんなことを聞か

れても、嫌味の一つも言えない自分がいた。

 流石に「はい、楽しいです」なんて言えなかった。

「唄はどうだ?」

「私は楽しいですよ?」

 白砂は首を傾げて言った。

 それはそうだろう。あれだけ皆から好かれて、尊敬されていて、……才に恵まれて

いてな。何やら比較された気がして。顔を少し顰めてしまう。

「そういうことだ。支えてやれよ?」

 斜め上を見ながら米村先生はそう言った。どういうことなのかさっぱりわからなか

った。なんなら、米村先生は質問にすら答えていない。

「要するに僕には何もするなってことですね」

 僕が彼女を支えることなんて何一つない。主語がなかったけど、唄に言ったのは明

らかだった。だから、僕は皮肉って先生に言った。

 米村先生は紅茶をグビグビと飲み干し、「来週も頼む」とだけ言って、生徒会室を

出ていった。

「じゃあ、僕は帰るから」

 特に何かしたというわけではないが、この一時間にも満たない時間で、疲れ切って

しまった。今日のこの時間で僕の高校生活は強制的にルートを変えさせられたような

気がした。今後のことを考えると、やっぱるため息が止まらない。



「……あのこと誰にも言わないでね」

 下駄箱で振り向くと、そこには時に凛々しく、優しい笑顔を絶やす事のない白砂の

不安げな表情があった。あの事とは当たり前だが、USのことだろう。僕は「わかっ

たよ」といい、逃げるように帰った。
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