好きが繋ぐ人生を歩む
恋愛、友人、職場、親族。
全ての人間関係に疲れた。
トボトボ、職場からの帰り道の大きな通りを人にぶつからないよう小さくなって歩く。
一日中ヒールを履いたことで浮腫んだ脚が痛み、なんだかどうしようもなく悲しくて涙が出た。
人付き合いは元から苦手ではなかった。
人から自分がどう見えるかが気になった。だから、いつも他人を優先して笑顔を心がけ、自分といる事で一緒に居る相手が価値を感じてくれるよう、常に心掛けていた。
なのに、そんな私は側から見たら信用に足らない八方美人らしい。職場のロッカールームで立ち聞きしてしまった。
そして、追い打ちをかけるようにSNSに自分を除いたメンバーでの飲み会の写真が上がっていた。頑張って付き合っていたのに、誘われてもいない。
親からのメッセージには、まだ25なのに結婚はまだか。
今日久々に会えると思っていた恋人からは、今日外せない飲み会で会えなくなったとの連絡が。いや、今月何回目?
もう、疲れた疲れた疲れた。
人付き合いが嫌いなわけではない。けど、よく考えたら頑張っていたんだから、得意でも好きでもなかったんだ。
というか、ちょっと、いやすごく? 無理してたような……。
ただ、他人を使って自分の立ち位置を確認したかっただけなんだ、私は。
けど、だとしたら私ってなに?
もう頑張りたくない、だったら、どうしたら────。
その時、肩に大きな衝撃が走る。
不意をつかれたことにより、体が大きく傾いてその場に尻餅をついてしまった。
大通りの歩道のど真ん中、一気に注目が集まるのを感じる。
ああ、もう、何で最悪な日なんだろう。
「すみません! 大丈夫ですか!?」
起き上がれずにいると、目の前に大きな手が差し出される。
パッと顔を上げると、そこには人の良さそうな若いサラリーマンが居た。心配そう眉を下げ、こちらを見つめている。
優しい視線を向けられ、私の氷のように冷え切った心がじぃんと温まり、途端に涙がポロポロと溢れる。
「は、えっ……? も、もしかして怪我っ……? 大丈夫ですか?」
「いえ、すみませんビックリして」
「本当にすみません! あ、ちょっとあそこに寄りましょう」
サラリーマンに肩を支えられ、大通りに面した映画館の前で人通りから避ける。
私がポカンとしていると、サラリーマンはガサゴソとポケットを漁り、ティッシュをくれた。
「本当にすみません、俺よそ見してて」
「いえ、私もふらふら歩いてたので」
「……涙、止まりませんね」
「転んだせいじゃないので、お兄さんはもう帰って平気です」
もらったティッシュで涙を拭きながら頭を下げると、サラリーマンは何も言わない。
それが気になりチラリと顔を上げると、サラリーマンは映画館のポスターに釘付けになっていた。
え、どういうこと?
「えっと、あの……」
「あ、すみません。……この映画、もう公開されてたんだと思って」
「……あ、本当だ」
釣られてポスターを眺めると、有名な少年漫画を映画化したもので、三部作の最終章らしい。ニュースで興行収入過去最多という文言を最近よく見かける気がする。
そういえば、数年前に一部を観たきりだった。
あの後、主人公は敵に寝返った仲間と和解することができたのだろうか。
思えば、社会に出て人付き合いに必死になる前まで、私はよく一人で映画を観に来ていた。
暇になった時間、ふと映画館に訪れ、その日に放映されているものの中から気になるものを選ぶ。
当たり外れはあれど、映画館の座席に深く座り、物語に飲み込まれている時間は私にとって至福だった。
他人に認められようと気を張り続ける今よりも、ずっとずっと、たった一人のあの瞬間の方が満たされていた。
心が潤っていた、私が私を大切であることができた。
私、自分の好きなことさえ忘れていたんだ。
涙はいつの間にか止まっていた。
「……俺、明日が一ヶ月ぶりの休みで」
私がポスターを見上げていると、サラリーマンが口を開く。私はそれに耳を傾けた。
「俺、この漫画すごく好きなんです……。けど、もう何年漫画なんて読んでないだろう。新卒で入社して、どこにいても仕事の連絡が来て、サービス残業休日出勤当たり前。でも、俺、そこまで必死になって、自分の好きを忘れてしまうほど働く必要ってあったのかな」
サラリーマンの目の下には大きな隈があり、表情には疲れが滲んでいた。
でも、このポスターを見つめる目だけは光を取り戻したように輝いている。
そして、どちらともなく、合わせたように私達は口を開いた。
「映画、観ましょうか」
「そうですね。観ましょう」
そして、映画を観終えたら考えよう。
疲れて、苦しくて、もうやめたいことの全てをどうするのか。
人は一人では生きていけないなんて言うけれど、人は自分の好きを忘れたら生きる意味を失うんだと思う。
他人からの価値観の押し付け、集団に属したい心、恋人がいるというだけの安心感。その全てを否定しようとは思わない。
だけど、立ち止まった時に自分の心が空っぽに感じたのなら、自分の好きを今一度、自分の心に問いかけてみるのも重要なのかもしれない。
***
「あ」
「あっ」
あれから半年、私は仕事を辞め、レンタルDVDショップで働いている。
恋人とも別れ、SNSをやめて、親とも距離を置いた。
給料も少なくなったし、一人にはなったが、自分の好きを仕事に出来て、以前よりもずっと心が楽で潤っている。
そして、レンタルされた作品を棚に戻していると、後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。
振り返ると、あの日のサラリーマンが居た。今日は私服姿だし、隈もなく健康的な顔色をしている。
「えっと、あの日ぶり……ですね」
「あはは、やっぱりそうだった。あの日はどうも」
「こちらこそ」
「……俺、転職したんです。それで今、映画観る時間もたくさんあって」
サラリーマンの持つカゴには、旧作から新作まで、たくさんの映画のDVDが。
「サブスクもいいけど、こうやって棚を眺めながら選ぶのも好きなんです」
「それ! それ、私もすごくわかります」
「ですよね! よかった、共感してもらえて」
思わぬところで気が合い、私の言葉を聞いたサラリーマンは優しく微笑んだ。
「よかったら、また映画観ませんか?」
「え?」
「ほら、観た後って感想言いたくなりません?」
「あっ、たしかに……」
「好きなものを共有できる友達、どうですかね?」
何かを背中を押されたようだった。
────私は、一人になった。
一人になって、好きと向き合う日々は幸せだ。
だけど、好きを共有できる関係、それもまた、新しくて楽しい、私の望んだ関係なのかもしれない。
私は元サラリーマンの笑顔につられて笑うと、何度も大きく頷いた。
そして、一歩を踏み出す。繋がる。
「あの、私の名前は────」
『好きが繋ぐ人生を歩む』おわり