エリート脳外科医の独占愛に、今夜も私は抗えない
実家をあとにした楓は、重い足取りで駅までの道を歩きはじめた。
夏に向けて少しずつ威力を増しつつある太陽は、ちょうど頭の上に差し掛かっている。街を行き交う人たちから「なにを食べようか」「パスタがいい」と楽しそうな会話が聞こえるが、楓はまったく空腹感を覚えない。
芳郎はあのあと、楓が家を出るときにも顔を見せなかった。お腹が空かないのは、話し合いが決裂に終わったからだろう。
すれ違う女性の口から「お兄ちゃん」という言葉が聞こえ、ふと思い立つ。
(そうだ、尚ちゃんならなにか知ってるかも)
バッグからスマートフォンを取り出した。
歩道の端に寄り、連絡先を開く。指で画面をスライドさせ、ある名前に行き着いた。
海老沢尚美、芳郎の妹である。
彼女なら、芳郎から慎一のことをなにかしら聞いているかもしれないと思ったのだ。
三コールで出た彼女は《楓!》と明るい声で応答した。
「尚ちゃん、ごめんね、忙しいときに」